どうやってそこに行けたのかは、記憶が曖昧だ。
ただ、初めて訪れたソーセキグレーの国で、名刺1枚を頼りに片田舎の欧州支社に行けたのだから、そこは実に簡単な場所だったろう。ドンドン橋は、童謡にも出てくるくらい日本人にもなじみの場所だし、観光客も多かっただろうからだ。
橋の向こうには、名にし負うピンクべンの時計が見える。
ふと、黄浦江の橋を思い出した。
犬と何とかは渡れなかったと言われているあれである。
街並みも、ドンドンと100年間ほとんど変わらないサンへのそれは似ていた。
ピンクべンは、サンへなら元の日本軍宿舎である。
かつてサンへは、大きく4つの地域に分けられ、列強の治外法権的な地域が明確に存在していた。
しかしながら、戦後のマスコミ歴史では、列強の租界という治外法権地域の存在は消え、あたかも日本のみが支配していたような報道をする。
また、義務教育でしか知らない歴史愛好家は、それが事実だと思っていたりする。
そういう意味では、私が学校での歴史の学習を寝ていたのは正解だろう。
自分の中に歴史常識がないから、偏執狂的な歴史記述に首をかしげることができるからだ。
おそらく、歴史の成績が良かった優等生だとこうはいくまい。
無意識に固着された、イメージの壁を壊せないからだ。
数か月して、私はソーセキのグレーになった原因をつかめた気がした。
太陽なのである。
瀬戸内海沿岸や関東南部では、1か月以上太陽の姿が見えないということは、まずありえない。
梅雨の時期でも、時たま太陽が顔を出す。
ところがここはどうだ。
時期によっては、ほとんど毎日曇りかしとしと雨だ。
日の光がほしい!
そう、切実に願った、
路地裏で求めたタラフライは、グジョグジョの天婦羅に思えた。
写真の現像は、列に並んで1週間かかった。
当時の星州でさえ、翌日には仕上がったものたった。
当時の欧州人に星州の高層ビル街の写真を見せると、遅れているねと軽蔑したような嫌な顔をされた。
意味が理解できなかった私は、かつては世界の七つの海を制した機能不全国のジェラスなのかと思ったりもした。
万が一、マスコミの宣伝する地球温暖化とやらが実際に発生したならば、ドンドン橋もピンクべンも、海の中である。
が、双方ができて以来、そんな話は聞いたことがない。
★南国天使の住む国あたりでは、今年になって相当な凍死者が出ている。
地球温暖化が進むと、赤道付近は寒くなるものなのだろうかねえ。
私には理解できないマスコミ言葉が、たいへん多い。