父の家系は、おとぎ話集では1300年以上さかのぼれるが、こうした話はいくらでも作れる。
ある程度証拠物件がある、事実と思われることは江戸初期まででしかない。
いや、それ以前は我が家の家系図などより、さらに詳しい物が存在するだろう。
もし事実が書いてあるならば。
こんなものがあるのは、大伯父がやんごとなき方を嫁に取り、京都にて相手の名字ではなく自分の名字で家をついで良いという話になり、相手は公式記録にも載っている家系図があるため、それに比して遜色ないものを作ったものではなかろうか。
ある程度事実と確認できるものがあるのは、江戸中期に本家取つぶしがあり、95年間は分家の私の先祖が家を守ってきたらしい。
天保・弘化まれの曾々祖夫妻が、すたれた家を再興する。
この子供たちは、京都の大伯父を筆頭に、相当な顔ぶれだった。
一方、母の家は今の家があるところの歴史でさえ600年は遡れそう。
そういう意味では、お嬢様だった。
この家は、昔から美女が多かったようだ。
写真からも、それが解る。
明治大正美人が多い
下段は、江戸の女たち。
男勝りではある。