【阪神淡路大震災】あれから21年 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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なぜか、朝からテレビをつけていた。

画面には煙に煙る大都市の映像が映っている。

解説者は、ひどくのんびりした口調でヘリコプターからのレポートをしていた。


朝からSF映画とは珍しいなと思った。


が、それはSF映画ではなかった。

現実に大阪で起こっていることだった。


後に知ったが、富爺は米軍の救援を断ったらしい。

自衛隊の救援さえ躊躇したという。

事実なら、国外追放ものであろう。


国民の命を守るのが、国を預かるものとしての最低限すべきことだろう。

それさえ、自分の主張の前に崩れた。


のちの菅さんのように、自分の責任を部下に押し付け、当時の幹部が指摘しているが、友人新聞社に自分に有利な記事を書かせたとさえ思われることもあった。


これほどひどい方ではないが、救援の遅れ、判断の間違いが、犠牲者を増やした。


当時私は塾の講師になっていたが、子どもたちの家には関西の親戚が転居してきた。

受験どころではない状況になった。


今は分裂した山口組が、政府に先んじて救援に動き、これは海外でも大きく取り上げられた。

あまりに政府の動きが遅かったからだ。

一部の宗教関係団体が、不思議な動きもした。

妙なうわさも広がった。



自民党が絶対だなどとは思っていない。

しかし、当時の村山内閣にしろ、東日本大地震津波の菅内閣にしろ、あまりに国民を馬鹿にした、責任感がないひどい内閣だった。




彼らの言う国民とは、日本の国民を意味しているのだろうか???


最近、ますます疑問になってきている。