【幻想旅行】日本人のふるさとへの旅 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
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★これは事実をもとにした小説です。

 ただし、遺伝子的には日本人とは全く関係がない部族です。

 写真はすべて、インターネットからの拝借ですが、できる限り記憶に近いものを選びました。


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何ケ月かぶりに熟睡ができた。

朝の涼しさがうれしい。なんと明け方は12度近くまで気温が落ち込んだらしい。

これ以上下がったら死者が出るかもしれないが、私たちには爽快な朝だった。


郊外に出る。


おやっ?

俺はまだ夢の中にいるのかな?と思った。

マイクロバスから望める風景は、私の記憶に残る、最初の方の風景だったからだ。

そこには、田舎の田園と木々があった。







街ゆく人も、田舎人より垢抜けしてはいるが、日本人に見えた。




しかし、のんびり遊ぶ動物やヤシの木が、そこは日本ではないことを物がたっている。





車を乗り替えた。

専用タクシーに乗る。トラックのことだが。

運転席に2人、荷台に2人の銃を構えた案内役が、やはり日本ではないことを教えてくれた。


車は急な山道を登っていく。

私ら2人は、荷台から振り落とされないように、しっかりとロープをつかんでいた。

落ちても助けられないようなことも言われた。

なにしろ、アメリカ軍も入れないクンサーの敷地入りするのである。

クンサーには話がついてるだろうが、山族が多く出るところだ。

下手に車を止めていると、襲撃の対象になる。


山道に入ると、一層日本の田舎が思い出された。



どれだけ時間がたったかは、明確には覚えていない。

そこについた私は、一層驚かされた。


野ブタと泥の中で遊んでいる少女たち。

まぎれもない日本人がそこにいた。


家は、近所の山で暮らしていた朝鮮爺さんの家に似ていた。









日本人のふるさとはここだ!


その時の私は、そう感じた。






★補注

 この方々の遺伝子と日本人の遺伝子は、大きく異なります。

ただし、昔も今も、多くの日本人が近くの町で暮らしています。


日本では犯罪者ですが、地元では多くの女子の生活を見ていた偉大なる人物・玉本は、この近くに住んでいました。

現在でも、あそこなら玉本は偉大なる救世主でしょう。

もちろん、日本ではダメですがね。