そんな感じだった。
これは、田舎だからできることだろう。
なお、弔辞を読んで下さった親分の話で初めて知ったが、親父が断ったものがあったらしい。
それは、親父が貰えたらなあ、と私は思っていたものだった。
親父は、私の予想を超えて大物だった。
断ったとは。
ちなみに、同期の出世頭が一番記憶に残っていることとして、一昨日家で語ったことがある。
いろんな先生から苦情や強い依頼が来るだろうが、それには惑わされるな!無視しろ、と。
これは言いそうだな、と思った。
いつも、そんな背中をしていたから。
しっかし、同期のやつらは偉くなっていた。
教員になった者は、ほとんど全員、校長か所長である。
プータ親父が、校長先生と呼ばれている連中と、バカ話しているのを見てしまった息子たちは、かなり驚いていた。
実は、えっ?奴が校長かいと、非常に驚いている私がいる。
戒名を付けたり、経を読んだ導師は、天台宗権大僧正。
権大僧都の勘違いだろうと考えていたが、自己紹介で自ら説明したから、間違いない。

天台宗だから使える敷布。 天台と知らないと、変な勘違いする人もいるだろう。
なお、導師はほとんど知らないが、親父の比叡山大僧正は知っている。
つい、昨日までは大僧正は田舎お寺にいるはずがないと、田舎だけでの勘違いだと思っていた。
が、なんと本当だった。
私の記憶に反して、今は比叡山大僧正は複数いらっしゃるようだ。
この大僧正は、怖い人だった。
少なくとも、蛇行運転学生をしていた昔は。
ずいぶん偉そうな話をしていたが、あれはかなり実態に近いものだったのかも知れない。
しっかし、やっぱり不思議な場所ではある。
以前、記事にしたけど。
この方は最近なくなったらしいが、葬儀の際は凄かったらしい。
叡山から来た、複数の大僧正やらが並んだらしい。