【甘酢物語2】ついてきた女 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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朝の物語の続きだ。


その子のことは、多少知っていた。

私の期待に反して、電話相手が連れてきた子だ。


いや、実は写真のモデルにもなってもらったこともあり、かなり知ってはいた。

なんでも、相当なところのお嬢様らしく、大学の終わりごろに牧場を見学した際に、

えっ?ニンジンってこんな風に生えているの!とかいって喜々としている姿は、皆を驚かせた。

生まれて初めて田んぼに入ったと、はしゃいでもいた。


私などは、記憶の最初に残っているのは田畑風景だったりするから、これには驚いた。

以前、ピアノの鍵盤は象牙だと言っていたが、本当のことのようだなと感じた。

その子を海で撮った写真をAカメラか、Nカメラあたりに投稿したら佳作入賞し、雑誌にも小さくその写真が載った。

彼女はそれを、皆に話していたらしい。

数年前に何十年かぶりの同窓会があった時に、周りの女性陣はだいたい知っていた。

男性陣はそんな話は初めてらしく、かなり驚いていたが。

とにかく、多くの男性たちにはマドンナだったらしい。


彼女は、同期の男たちにはかなり関心を持たれていた。

が、私はそうした感情は全くと言っていいほどなかった。

写真映りは良さそうだとは知っていたが、正直特別な感情を抱く対象とは全く異なっていた。

ただし、多くの人は知らないであろう、意外な幼さやかわゆさは知っていた。



後の同窓会の際、彼女が亡くなっていたことを知った。


ということは、飲み会が最後の出会いであったわけだ。

特別な思いは無い人だったが、後半の人生を知って、深く何かを感じた。


10年くらい前の第1回目の同窓会は、彼女を弔う意味もあったらしい。

この時は、私は寝る時間もなく会社にいた頃だから、その同窓会には行けず2回目から出席した。



今思えば、その子は波乱万丈の人生だったろう。

いいとこに生まれ育ったものの、後半はかなり苦労していたようにも思われる。


そういえば、黒ヘルの兄貴(政治的には全く正反対だが、山登りを教えてくれた同期では最も年上の方)も、彼女には傾いていた時期がある。


あの方は、今頃どうしているだろうか?かなりの企業に就職したが。


甘酸っぱさとともに、いろんなことが思い出されてきた。

今では、ヘルメットの色などどうでもよくなっている。


私はノンポリだったが、いろんな色のヘルメットの方々とはかかわりがある。


還暦なのに三十路でも通りそうなオバQ。

その旦那になった方には、教室で壁ドンされ、その仲間に囲まれたこともある。

そこを逃してくれた姉御とは、後日皇居周りをを歩いたりした。

ヘルメットの色からすれば皇居など行くはずもないお方だが、別の見方をすればあるいは当然皇居に尊敬の念を抱いている方とも考えられる。

この姉御が血だらけで実験室に入って来たとき、私はなんら手助けをしなかった。

その当時はいくら見方が反対の方でも、これはダメだったな、と今は反省しきりである。



と、不思議なことがどんどん思い出されてくる。

男の記憶は殆ど飛んでいるのに、女性陣の記憶はなかなか消えない。


バケさんは、あいかわらずバケさんだ。

この方は、殆ど親類と言うか、非常に身近なものを感じている。



しっかし、ダメだね。思い出に入り込むようになっては。


は^^^あ。

やっぱり、ダメジジイです。