地震関連では、昨日は大きな変化はありませんでした。
詳細記述は割愛します。
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さて、クロ現がまた問題を起こしたらしい。
が、他称ネトウヨの私にとっては、むしろ立花隆の自然な成り行きで出てきた言葉を差別語やら放送禁止用語とした現実に、改めてため息をつく。
放送禁止用語などの愚かさや感覚の違いを初めて耳で知ったのは、クリスチャンとしても知られている犬養道子氏と先日百歳になられた三笠宮殿下との対談を見てから刺激され、その著書を読んでからである。
これを見たから考えが変わったのではなく、ああ宗教に篤い方・著名人も自分と同じようなことを考えているのだなと安心したのだった。
犬養氏が指摘し、また実際に放送禁止用語と分かって著書の中で敢えて記述した言葉は、今でも実家付近や今住んでいる都会近郊の農村でも、私と同年以上の方々が当たり前に使っているのを耳にしている。
ここで驚いたことは、その言葉を耳にするとドキッととしてしまっている自分がいることに気付いたことだ。
大学に入ってからも普通に使っていた言葉の差別性を、他者から抗議されたことがあった。
当時は西に存在した差別など知ることもなく生きてきたから、その人たちが何を怒っているのか全く理解できなかった。
しかし、そこで差別語の講義を受けたトラウマだろう。
その何でもない言葉に、敏感に反応する自分がいたのだ。
悲しいことである。
歴史物語の中にさえ、こうした生きていた言葉がつかえない。
いや、現在も生きている言葉がつかえない。
その言葉自体には、少なくとも私の実家付近では全く差別的な意味合いは無い。
が、差別的な言葉と認識させられてしまっている、自分の脳の存在・自分がパブロフの犬になってしまっていることに気付いてしまったからだ。
韓国ドラマをファンタジーとして歴史とは全く思っていない自分がいるが、今の日本のマスコミも大差ないかもしれない。
もちろん、国が認めた教科書となっても圧力で使えなくさせられているものを除いた、ほとんどの韓国民が使わされている歴史義務教育の歴史のようなデタラメ満載ではないだろうが。
あんな歴史を学ばされたら、優秀な子は立派な反日思想家になるだろう。
日本は欧米の属国だという人たちの考えを大韓民国に当てはめれば、かの国はここ数千年一度も独立国になった経験が無い。このあたりを嘆いているのか、戦後でさえ自国民を万人単位で虐殺してきた国は、自称も含めて先進国ではかなり珍しい。
今でも歴史から隠しているが、その数は北朝鮮との戦いで亡くなった方々の数と比べても、少ないとは言えまい。
ポルポト時代に、虐殺は右翼の造った小説だとか、北朝鮮拉致も同じく捏造だといった政党や団体が大手を振って嘘を振りまいていたように、今でも自分の耳で聞いたと明言できない元党首を平和の象徴のように祀り上げている人たちもいる。
そう言う方に限って宗教批判をしたりすることが多いが、その人が信じている歴史が全くデタラメでそれこそ醜悪な宗教であることを認識できないか、あえて目をつぶっている。
今の中国や韓国あたりにあった、日本軍ではなく、自国民から受けた虐殺や日本では考えられないような差別、日本人引き揚げ者に対する殺人や強姦にはまったく触れない。
不思議な感覚だ。
ダライ・ラマは毎年日本を訪れているが、日本のマスコミはこの件にはほとんどのところが三猿となっている。
おそらくだが、近隣の強い民族差別をし、党員以外は人間視しないような国や、特定の出身地や苗字を持つ人たちを人間扱いしない、または身障者を極めて激しく差別する国の昔からの慣習や法律が、今なお生きていることさえ報道せずに、口だけは立派なことを報道する。
立花隆氏は、ロケットおたく、下半身関係もロケットじいさんとのイメージが強い。
日本の政治を表から変化させた人物であり、自民党議員の秘書だったが今は反日的なイメージが強い上杉氏同様、私の中では異色の報道関係者であると同時に、多才な科学者でもある。
下半身ロケットに関しては、田原狸ジジイのようなつわものではないだろうが、私のイメージはなぜか傾いている。(しっかし、田原爺さんは嫌いだが、タマタマの大きい点は評価している)
上杉さんに関しても、本人には申し分けないことだが、根拠もなくイメージとしては似たところがある。
可能性としてだが、かわゆくホームシックになりながらも、日本を別の目で愛していた筑紫爺さんも似たところがあったのかもしれない。
あの方あたりは、最後まで事実を隠していたように感じている。
本多先生あたりも、水木先生の仲間になる前に、事実を語ってくれたらとは願っているが、これは無理な注文だろう。
ただし、内心は若宮氏や植村氏などよりは期待している自分がいる。
不思議な感覚だ。
たぶん、騙されながらも一度は尊敬していた方々への、複雑な思いもあるのだろう。
私も、還暦過ぎてもまだ、甘ちゃんの赤ん坊だなあ。
ところで、立花氏の蛇におじずに似た表現にある、隠されなくてはいけない日本語。
蛇表現などは、国語の授業で覚えさせられた言葉だから、私と同年以上の日本の義務教育を受けた方なら99%以上知っている言葉だろう。
クロ現で発した言葉も、これと大差ない。
良く叩いているA新聞の一部の方などでさえ、▲手落ちの政治と言ったような表現が使えず苦悩していたのを、間近で自分の耳で聞いたことがある。
こんな言葉は、田舎ならほとんど毎日のように使われている可能性さえある。
多くの健常人は差別とは受け止めないが、相手には重い言葉なのかもしれない。
床屋という言葉も、今は公共の場では使えないらしい。
でも、私などはむしろ、理髪店という言葉により違和感を感じてしまう。
私が髪を切っていたのは床屋であり理髪店ではない。
が、そんな事実さえ表現できない。
また、井原西鶴の作品などは、黒塗りつぶし文学になってしまうかも知れない。
話は飛ぶが、犬養道子氏が言葉の使用を認めない出版社に反論していた、市町村とほとんど同義で使われている言葉。
ある言葉を無くせば、その中身も無くなると言う考えは、過去の歴史を書き換えれば歴史事実も変わるとして、一所懸命歴史改竄をしている隣国思想ともダブる。
隣国の歴史もほとんど知らないが、その国で書かれたファンタジーではない歴史関連本を覗くと、どうしようもない内容盛り沢山と推測できるが、これは相手にとっては仕方がないのだろう。
その国の大統領であった父も、またその妻も暗殺された韓国は、現在その娘が大統領だ。
娘は自国民には複雑な思いがあるだろう。
さらに、形式上は同じ民族であることにしておきながら、本貫によって明確な身分差別、民族差別を法律で規定しているのにもかかわらず、本貫の存在が当たり前すぎて、その差別のおぞましさを感じられないのだろう。韓国人や在日韓国人の一部は、李氏朝鮮とは朝鮮民族の王朝と考えているかもしれない。
どういった経緯で国ができ、、前の王族はどうなったのか、名前が付けられたかを知ったらがっかりする方もいそうだ。李氏朝鮮時代にハングルがどれほどの差別を受け、どれほどひどい人間差別を行い、何人の同族や同国民を殺したかをしったら涙しか出ない。だから暗殺された大統領も、自国の歴史を葬りたいと願ったし、娘はそれを実行しているのだろう。
犬養道子氏で思い出した。
三笠宮殿下は、中東言語や歴史のプロでもある。
確か、トーラーかタルムードあたりは、ヘブライ語でお読みできるとおっしゃっていたと思った。
このあたりは田舎爺が触れてはいけないのだろうが、伊勢神宮の鏡の裏も見てみたいものだ。
大山古墳など宮内庁管理の古墳発掘よりはるかにすごいことが分かるかもしれないし、SF妄想家の夢が消えるかも知れない。
まあ、日本の歴史に残る大大臣でさえ、観てはいけないものを見て急にお亡くなりになったりする場合もあるし、このあたりは永遠に夢であってもいい気もする。
★蛇足
こののち寝なければ、実質徹夜でやっと生活が平均的な人間の生活時間帯に戻るかな?
話は戻るが、インターネットなどに出てくる意見を見ていると、田原・上杉氏あたりに対するとらえ方が自分とは全く異なっている場合が多く、実に興味深い。
さらにこれは脅威であるが、未だに、若宮氏や植村氏をあがめている奇特な方までいる。
まあ、どうしようもない方だなと思いつつも、私も本多教の呪縛から抜け出せないでいるようだ。
私らの時代は、確かに上手い文章を書いていた。
あの新聞社の看板論説を、受験の神様などと形容する一部マスコミ宗教に洗脳されていた。
いまやそこは見る影もない。または、私のとらえ方が変わった。
だいたい、不思議な日本語を使う方もいるやに感じている。