知らないとを、しんね(知らぬの撥音便化)という地方がある。
その短縮形発音は、時によって、しねと聞こえるかも知れない。
安倍さんに嫌悪感や敵愾心を持つ方々の一部変人は、このしねをまったく別の意味(シヌの命令形)で使う場合が多い。
こうした変わった表現をする方々の、心理を考えてみた。
この表現を使う方々の一部は、日本人ではないだろう。
つまり、選挙権の無い方々だ。
こうした活動は、基本的に外国人は行うべきではないが、実際には国籍が日本ではない方々も参加しているだろう。
日本なら、安全にデモができるから。
実は、自国の徴兵制や自国の軍あるいは政府に対する不信感と不安・嫌悪感を、日本の自衛隊や政府に方向を変えてぶつけている。
実際には、彼らの一部は日本の法律も自衛隊も関心が薄い。
本当に怖がっているのは、自国の軍隊や政府だろう。
ただし、自国でそれは言えないし、間違ってもデモなどはできない。
だから、その欲求不満を日本にぶつけて不満解消をしているのだ。
自国でそんなことをしたら、明日はどうなっているかわからないから。
一方、残りの日本国籍を持っている方。
そんな中でも、帰化した方々(特に中国大陸や朝鮮半島出身の方々)の場合は、上記理由以外に複雑な事情があるかもしれない。
が、いずれにせよ、日本が安全で差別が少ないことは自覚しているだろう。
さて、問題は帰化したわけでもないのに、日本を貶めて喜んでいる日本人だ。
こうした方々の考えは、私には金星人並であり、ほとんど理解できない。
たぶん高尚な考えに基づいて、そう思っているのだろう。
が、そうした考えを理解できない私には、単なる井の中の蛙にしか思えない。
あるいは、マゾヒステックな病人でしかない。
(ごく一部の例外を除く)」
あるいは、誤りを認めることは自分の過去を抹殺する、あるいは否定することとでも思っているのだろうか。
それによって人生観が変わることはいいことだ。
過去の過ち人生を認めずに、嘘八百を信じていた自分を温存し嘘を貫き通すことの方が、私には醜く感じる。
これも、私が曲がった見方しかできない、馬鹿なネトウヨ爺だからだろうか。
でも、反安倍派・反日本派の方々の多くは、非科学的であり、非理論的であり、自己主張が強く、寛容さが不足している。
あるいは、自分の見方に疑問を抱かないか、抱けない。
そう感じています。