以前はコメントのやり取りをしていたが、1年くらい前に出入り禁止となったブログがある。
時々はチェックして嫌味記事など書いている。
そのためか、このブログはネトウヨからチェックを受けているぞと言うことになっているようだ。
で、今見たら、また嫌味記事を書きたい内容があった。
戦争で盗まれた土地は戻って来なくて当たり前。戻すなら金が必要と言った理論だ。
これに対してある方が、それは違いますよと国際ルール・慣習の例を示したにもかかわらず、自分の論の誤りを認められない。
そればかりか、さらに持論を強弁する。
相手は、私の様なボケ爺いではない。
種々の知識溢れる博識な方。
ハッキリ言って、そのブロガーさんとは知識レベルも考察も段違いの相手だ。
が、その方にもいつものような持論である。
さらに笑ってしまったのは、その方のシンパらしい人が、石原都知事が尖閣を買おうとしたことを例に挙げて、戦争で盗まれた土地を買うことの正当性を結果的に後押しした。
石原さんは、どこの誰から土地を買おうとしたのですか?
ついでに言えば、竹島はいつ誰が、どういうタイミングで、どんな手段を使って韓国が実効支配したのですか?
だぶん、全く分かっていない。
これも以前の様に、体育館の裏で待っている、決闘だ!
といった話同様、冗談なんですかね。
私みたい冗談の理解できない石頭は、ご本人の考えを書いていると思ってしまいます。
誰だって勘違いはある。
そこで間違いを指摘されたら、素直に感謝すべきだろう。
しかしながら、現実には間違いを指摘された段階で敵として認識し、殲滅すべき相手となる場合や人もいる。
学生時代に角棒を持っていた人達にも、そう言う人はいなかった。
理論を言えば通じた。
が、社会にはそうでない人は、確かに存在する。
間違いを認められないことの醜さを、ほとんど理解できない。
五人組縛りがあるのかもしれないが、悲しいことだ。
また、哀れなことだ。
どっかの国が正しい歴史認識と言いながら、ファンタジー歴史にそぐわない事実は、つい先日のことでさえ否定することに似ている。
見方によっては、滑稽でさえある。
悲しきピエロ。
そう思った。