アメブロなどを通して、知ったことや感じたことです。
これはアメブロのクイズなどでも感じたのですが、あることに関しての答えの選択肢がほとんどないことがあります。
これは、ブロガーさんなどにも多少みられる傾向で、考え方は○か×しか選択肢がないと言うことが多いのです。
それからはずれたものは、認めない。
いやいや、それどころか○か×の答えは決まっていて、それ以外は認めない。
そんな傾向を感じることがたまにあります。
大変不思議なことですが、それを不思議と感じないあたりが、これまた不思議です。
この件に関して、以前ある方からアドバイスをいただきました。
そう言う方は、赤と白の瓶しか用意していないから、それ以外のボールは瓶に入らないのだと。
あるいは、丸いボールしか入らない瓶だから、星型や四角は捨てるしかできないのだと。
すばらしい考えです。
ブログをやっていてよかったなと思いました。
こうした発想は、自分だけではなかなか思いつかないものです。
さて、そんなデジタル思考の例を挙げてみましょう。
・・・・・・・・・・・・・・・デジタル思考理論の例、およびそうした方の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・
★阿閉さんは日本人ではないと考えている。
なぜなら、その人の考えと違うからである。
★阿閉さんは、人間でもないと主張する。
なぜなら、その人に有利な考え方をしないからである。
★私の考えと違うものは、人間ではないかネトウヨであると断定する。
なぜなら、理論的に反論できないからである。
★阿閉政権は、二本快技団の手先であると考えている。
なぜなら、確率や統計の基礎の基礎を知らないからである。
★恐れ多くも畏れ多き方がペクチョンの末裔だという話を信じない奴は、ネトウヨであるとする。
なぜなら、日本歴史に嫉妬しているからであろう。
★ネトウヨと言う言葉やリベラルと言う言葉を多用する人は、ほとんどの場合歴史知識が無く使っている。また、ネトウヨやリベラルの意味を理解していなから、その定義もできない。
なぜかというと、雀百まで踊りは忘れないが、なぜ踊っているかは自分でもわからないからである。
★絶対と言う言葉が好きである。
例えば、ネトウヨはアメリカや官僚の悪口を絶対言わない、などのような表現が好みだ。
情緒を表現したい修飾語のつもりだろうか。
と、感じている。