【またあの日が来た】御巣鷹山;日航ジャンボ機事故 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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それに九ちゃんが乗っていたのは、海外にいた現地ニュースで知った。


かつ後には、それが偶然が二重に重なった不幸であったことも知った。


確かあれには、さんまも乗るはずだった、

が、こちらは偶然のいたずらで乗れなくなり、命を拾った。


そんなことは後で知ったが、とにかく忘れられない日だ。

九ちゃんの奥さん・柏木さんの顔が、脳裏に焼き付いている。




それは、いまだに諸説が渦巻く不思議な事故であったこと、世界中のパイロットが驚嘆するほど冷静沈着で、高い技術を持った機長であったこと。

クルーも最期までその仕事に徹したこと、客も死を予感しながらも家族への思いを紙の橋切れなどに綴っていたこと。


それらどれ一つをとっても、いまだに驚きであり涙が出てくる。



何が起こったのか。

機体整備問題説から始まり、中には米軍のミサイル誤発射説まであるが、真実は闇の中にある。

一部にボイスレコーダーが公表されていないと言う人もいるが、これは間違いだ。


「なんか爆発したぞ」ではじまり、最期に機長が「あたまあげろ!パワー!」と言って切れていたレコードがあるのではなかろうか。

(録音最後は、コンピュータ警告音プルアップ)


陰謀説が好きな方は、このボイスレコーダーも捏造となるのだろう。



しかしなあ。


あの機長は、本当にすごい。

私は飛行機など操縦できないし、流体力学とやらもわからない。

が、あの尾翼で、キリモミにならず航行を続けることが、どれほど難しいことかくらいは想像がつく。


まさに神業だった。

世界中のパイロットが驚嘆した。



飛行機が墜落した場所に関する報道も、この事故にさらなる謎を生んだ。

直後にあったらしい非常に正確な連絡が生かされず、救助隊は誤報道に右往左往した。


その理由を先日NHKが報道していた。

が・・・・・・・、少なくとも私は納得できなかった。

何らかの理由があって、あんな作品を作ったのだろうか。


これは全く分からない。




盆直前の猛暑。


その昔は、インターネットでも表示できないような、写真や事故報告があった。

その悲惨さは、天安門事件のせんべいにも似ていた。

(注;天安門事件のせんべいは、日本のマスコミは一切目をつぶっていて報道しない)





記憶に間違いがなければ、この事件事故は、柳田邦夫あたりが相当細かい分析をしていたと思う。




人間とはなにか。


それを考えさせられる話だった気がする。




この日の記憶は、東日本大地震津波や福島原発事故のあの党のトップの動き、マスコミのデタラメ報道同様、一生忘れられない。



ご冥福をお祈りしたい。





私も、飛行機で死を覚悟したことがあった。

それは今でも恐怖体験の記憶として残っているが、あの人たちは本当に亡くなってしまった。



足元にキングコブラがやって来たときは、動けないほどの恐怖に襲われた。

が、それは数秒。一瞬だった。

機内に煙が入って来たときも、離陸直前だったため機はすぐにエンジンを止め、10分くらい後には陸地にいた。



しかし、もうひとつの飛行機の恐怖と覚悟の記憶は、およそ30分くらいある。

いや人間は恐怖に襲われた時には時間が間延びする錯覚に陥るから、実際はそれよりかなり短かったかもしれない。


乗客全員が蒼白になり、無事着陸できた時は、客席全体から大きな拍手がわいた。

私も、生きているぞとの思いから、しみじみ拍手をしたのを覚えている。


梅雨前線の中をつっきった、未明の中華民航。

キリモミとまではいかなかったが、シートベルトをしていなかったら、天井に頭をぶつけるほどのジェットコースターがしばらく続いた。


最初は大きな悲鳴が上がっていたが、しばらくするとそれさえも消え、エレベーター飛行をする機のなかで、皆が腰を丸め荒い息をしながらも静かに機体が落ち着くのを待っていた。




今ならニュースになったかも知れない。







日航ジャンボ機事故。

あれから30年が経つのだろうか。




機体が墜落したのは、osutakaだった。

そして、動画をご覧の方はご存知のように、私はosatakaである。


田舎の方言では、同じ音になる。


そんなこともあり、非常に記憶に残る事故だった。




なお、私の昔の友人あたりが、この調査には深く関わっている可能性も高い。


まあ、何か訊いても、立場上何も話さないだろうが。