例えば、銀河鉄道999を観て、あの鉄道はありえない。
宇宙空間を旅行する際に、あのような形状はありえないし、煙が後ろにたなびくはずがない。
なーんて青筋を立てる人はほとんどいないだろう。
なぜなら、それは小説だとわかっているからだ。
ところがこれが、歴史小説とか大河ドラマだとかいうと、真面目に反論する方がいて驚く。
歴史小説は、その名前通り小説である。
大河ドラマも、小説である。
多少は時代考証などして、日本の場合はお隣さんほどデタラメはないだろうが、細かいところはたくさん矛盾や、史実との違いが出てくるだろう。
お隣の場合は、たとえば昨年大ヒットした『鳴梁』のような映画でさえ史実としてみている人が多いという話は聞いたことがある。
また、私もファンである『トンイ』さえ、それは同様だと言う話も聞いたことがある。
『鳴梁』も『トンイ』も、あるいは『朱蒙(チュモン)』にしろ、映画作品であり、全くといってよいほど根拠となる資料がないか、あっても異なっているものがほとんどであろう。
ドラマとはそういうものだ。
いちいち、『水戸黄門』に文句を言いますかいな。
水戸黄門は、ほとんど地元水戸藩を出たことがありません。
地元以外に出たのは、お隣下野・湯津上付近と江戸並びに鎌倉くらい。
今でいう、引きこもりジジイです。
全国行脚などしていません。
それを分かっていて、水戸黄門ドラマを楽しみます。
ところが、NHK大河小説に文句をつけ、これと安保あたりをからませる。
まあ、それは個人の考え方でしょうからどうでもいいことです。
ただし、そんなことはよくありますよ。
大河ドラマでは。
でも、あまりに真剣に記されていたり、賛同する方々が多いので驚いた。
あるいは、冗談で記事にしたのだろうか。
ウルトラマンが、3分で胸がピコピコするのをなぜ記事にしないのだろうか。
あれも、ずいぶんおかしいと思いますよ。
もっとも、日本では義務教育の場では今でも、ひどい場合には水耕は半島経由などという、西から太陽が昇ってくるような話を書いたり論じている先生方がいるとも聞いていますがね。
ほとんど科学知識のないと思われる先生方が、歴史の教育をするのはいかがなものでしょうか。
そこまでひどくはなくとも、大河小説の細かい点が史実と違うことを論じるのは、どうなのでしょうか。
ちょっと驚いたので、嫌味記事を書いてみました。
もし、そのような細かい点に違和感を覚えるならば、『田布施システム』などという、単に横顔が似ているというだけで、客観的根拠がなく、古代日本語や地名知識の無さを棚上げし、日本人と皇室を侮辱して喜んでいることに違和感を覚えないのだろうか。
恥と言う感覚があるのか否かを、疑わざるを得ないのです。
田布施システムだろうが、幽霊だろうが、それを信じることは構わない。
しかしながら、それが絶対だとか、明らかに歴史や言葉を無視したことを平然と事実として訴える方が、私には大河ドラマのなかの嘘よりはるかに重大な罪だと感じます。
ただし、これは私の考えだ。
日本人をバカにするためには、根拠も資料も不要だ。
手段を選ばないということもあるだろう。
お隣韓国などのマスコミに、こうした傾向が強いように感じる。
こうした記事は馬鹿馬鹿しく、本当なら記事にすべきではないだろう。
ただ、どうも一部の方々は、本気でそうした話の矛盾に気付いていないように思えたので、あえて記事にしてみました。
以上、本日は朝から嫌味記事を書いてしまいました。