日本国憲法というと、9条を取りあげることが多い気がします。
しかし、他にも目を向けてみましょう。
下段の憲法にある文を読む限り、外国人学校へ金を出すということは憲法違反であると思います。
そうした憲法違反をしろと言っている方々に、憲法を守れという矛盾した考え方の意見が多い気もしたりします。
このあたりが、非常に不思議です。
もっとも、差別反対を訴える方に、明確な出身地差別を口にして憚らないばかりか、自慢するような方もいますが。
比較的最近も、普段は人種差別を訴える朝日系報道で、嫌いな相手には明確な差別をした記事がありました。
その記事を書いた記者は左遷されたか処罰を受けたと思いますが、口だけはいつも立派なことを言っていても、これではねえ。
私自身にも、差別意識は少なからずあります。
でもそれは、出身地とか生まれとか民族とか、あるいは身体的特徴とかではありません。
その人間性などによるものに近いものです。
例えば、破壊を肯定したり、泥棒を肯定的にとらえる方々に対しては、正直差別的な目で観ているでしょう。
特に無知な相手に親切に教えるふりをして騙す輩は、本当に腹が立ちます。
また、自分のしたことを他人のせいにする人も軽蔑しています。
金や物の為に、あるいは自分を守るために手段を択ばない人も軽蔑しています。
広い意味では、軽蔑も差別になるでしょう。
いや、より正確には別世界の人に近い感覚で見ていたりします。
これは差別なのでしょうね。
ここではよく半島への皮肉記事を書いていますが、けして半島人を嫌っているわけではありません。
以前も書きましたが、私は子供のころから朝鮮人の方々にも優しくしていただいていました。
また、今こうして生きていられるのも、そうした朝鮮人の方々のおかげもあります。
ですから、朝鮮人自体には特に嫌悪感はありません。
海外でも、優しく接してくれた朝鮮人の方もいます。
ただし、現在世界各地で問題を起こしたり、日本に極めて不快な嘘を流す方々や一部マスコミなどには、ひどく反発を覚えてしまいます。
半島人に限っては名前を隠すマスコミも変ですけどね。
そうした方々に対しては、たぶんかなり軽蔑、もしくは差別的な目で観ています。
前置きが長すぎました。
あれれ?という憲法ができるまでを見ていきますか。
また、その疑問点には赤線を引きました。
赤線部から考えるに、外国主導の学校など国や地方公共団体に属さない教育機関に補助金を支出するのは、明らかな憲法違反でしょう。
ですから、朝鮮学校にも無償何と主張される方々は、憲法違反をしろと言っていることと同じだと思います。
それでいて、一方では憲法を守れとかいう人がいたなら、なんだかなあ?という気分になります。