【縄文海進】その14;いかるがの里&SF的発想の図形+お知らせ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは、縄文時代の一時期地球が温暖化し、海水が現在より50m位上昇していたと思われることのことです。 こうした海進は、小規模ながら古墳時代や平安後期にもあったと考えられています。 かつての海岸近くには、現在もその名残として海が近かったと推測できる地名が残っています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今回は言葉ピックアップではなく、かなりお遊び的要素の強いものです。

ですから、SFファンの方々にとっても興味深い内容でしょう。


まず、奈良盆地の様子を見てみましょう。






大半が海の中に沈んでしまいます。

しかしながら、これで一層古代の日本が見えてきます。


と言うのは、古代大和で重要な町は、すべてこの海の外側の岸にあることです。

さらに、重要な道路も、海に沿って作られています。


こうしたことからも、縄文海進だけではなく、古墳時代にも奈良盆地のかなり奥まで海があったことを忍ばせます。


さて、奈良に都が移る前の、飛鳥付近を詳しく見てみましょう。

大和三山は、海に浮かぶ島となっています。

現在は山奥にある天武・持統天皇陵も、海打ち際だったかもしれません。

天皇陵など大きな墓を創る場合には、巨大な石が必要となります。

かつてはこれをこれを運ぶのには相当大変だったろうと考えられていました。

しかし、海からさほど遠くないならば、石切り場の石を舟で亜運び、あとは修羅などのそりを用いれば、

以前考えられていたほど長い距離巨石を運ぶ必要もありません。


これは、エジプトのピラミッドなどにも言えることです。



さて、ここからはSFチックな話になります。


奈良盆地には、大和三山と言うものがあります。

大和三山とは、耳成山、畝傍山、天香久山のことで、これらを結ぶときれいな二等辺三角形になることが知られています。

さらに、耳成山はかなり対称性のある円錐をしています。

また、古い資料には耳成山の記述がみられません。


このため、耳成山は人工的に作った山、つまりピラミッドだという説があります。

地質がどうのと科学的なことを言ってしまうと面白みがなくなるので、ここからはそうした見方で書いていきます。


この二等辺三角形には、特別な意味も加えることができます。

二等辺三角形の底辺の二等分線を伸ばすと、この地方の昔の大王と思われる三輪神社にぶつかります。

さらに、この線を反対方向に延長すると、古代には伊勢神宮以上の霊力があった宇佐神宮に至ります。


SF小説やインターネットでは、ここで終わっているものが大半です。


そこで私は、さらなる飛鳥の不思議を提言します。


1;耳成山、畝傍山、大官大寺、天武・持統天皇陵の4点を結ぶと、ひし形になる。

また、畝傍ー大官ラインはほぼ正確に東西を、耳成山ー天武・持統天皇陵ラインはほぼ正確に南北を示している。


2;畝傍山ー西念寺ー天武・持統天皇陵を結ぶと、直角二等辺三角形になる。


3;天香久山ー畝傍山ー飛鳥寺を結ぶと、二等辺三角形になり、その底辺への二等分線は、ほぼ東西に延びる線となる。







海進が標高70m位まであった場合。



などと、いろいろ遊べそうです。


こうした遊びを置いておき、また少し真面目な話に戻りますと、飛鳥寺、法隆寺、薬師寺と言った古刹も、この内海の周りに建立されています。

平安時代には池のある大きな庭園が造られたような話がありますが、実はそうではなく、建物の目の前がもともと湖だったのかもしれません。




★お知らせ

ここまでの海進推定地図は、インターネットのあったフリーソフトを使っていました。

それを参考にお絵かきをして、再現図などを創っていました。

ところが、このあとイラク付近の詳細を調べているうちに、この海進シュミレーションソフトが動かなくなってしまいました。


ということで、残念ながらこのシリーズは、一旦ここで中休みとなります。


しばらくしたら、もう一度トライしてみますが、かなりパソコンの動きが遅くなってしまっており、何らかの虫がついてしまったのかもしれません。

一応デフラグしたのですが、残念ながら動かないことは変わりませんでした。



ということで、最近深夜に毎日更新していたこのシリーズは、今夜からしばらくはありません。