【縄文海進】その10;山形&出羽羽黒山再現画像 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは、縄文時代の一時期地球が温暖化し、海水が現在より50m位上昇していたと思われることのことです。

こうした海進は、小規模ながら古墳時代や平安後期にもあったと考えられています。


かつての海岸近くには、現在もその名残として海が近かったと推測できる地名が残っています。


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山形というと、東北にある山がちな県とのイメージを持たれる方も多いと感じます。

しかしながら、山形、つまり出羽は古代は海が内陸奥深くまで広がる場所でした。

特に出羽三山などというと、奥深い山の中と感じてしまいがちですが、かつては出羽三山も海沿いにあったのです。

出羽三山の由来について話し出すと非常に長くなりそうなので簡単にしか書きませんが、出羽三山には日本の歴史におけるタブーが隠されている可能性があります。




これまで見たきたように、日本の古い神社などはほとんどすべて海沿いにありました。

これは、大国主に代表される古代日本人である海洋民族や、現在の蝦夷アイヌ並びに琉球人との関係がかなりありそうです。


なお、この地図には載っていませんが、現在の山形盆地は巨大な湖であった可能性が高いところです。


山形・庄内平野には、内陸にある山の麓にもまだ網・舟・沖など海をイメージさせる地名が多く残っています。