【縄文海進】その9;讃岐&讃岐富士再現画像 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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縄文海進とは、縄文時代の一時期地球が温暖化し、海水が現在より50m位上昇していたと思われることのことです。

こうした海進は、小規模ながら古墳時代や平安後期にもあったと考えられています。


かつての海岸近くには、現在もその名残として海が近かったと推測できる地名が残っています。


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古事記などの記述が、日本列島の征服と統一の歴史を暗示する書物との考えで読むと、四国、特に讃岐とよばれる香川県付近は、非常に早い時期に大王連合国の一員になった可能性が高い。


そのため、逆に反体制側の皇族などが島流しにされたのが、この地方であった。

日本大魔王となり、明治まで700年以上皇室を悩ました崇徳上皇もまた、ここ讃岐に流されている。

一部伝説に、聖徳太子が精神を患い道後温泉に静養に行く話があるが、このあたりも道後(=伊予国)と場所は多少異なるがいささか気になるところだ。


また、香川県には讃岐富士と呼ばれる、ピラミッドを大きくしたような山がある。

現在は平地にそびえる山だが、かつては海の中にあり、本州にある吉備国(現在の児島半島)から四国に渡るちょうどよい目印になったはずだ。

面白いことに、現在の瀬戸中央自動車道は、児島半島久須美鼻からまっすぐこの讃岐富士(飯野山)に伸びている。