縄文海進とは、縄文時代の一時期地球が温暖化し、海水が現在より50m位上昇していたと思われることのことです。
こうした海進は、小規模ながら古墳時代や平安後期にもあったと考えられています。
かつての海岸近くには、現在もその名残として海が近かったと推測できる地名が残っています。
出雲地方には狭い平野しかなく、現在と昔はそれほど大きな地形変化はありません。
それでも、島根半島中心に、海関連地名が目出ちます。
また、出雲とはもともとは島で波が白くたつ様子を雲に見立てたものであり、古墳時代になって島根半島と本州が細い陸地でくっついた島部分に出雲大社を建てたのではないでしょうか。
つまり、出雲とは雲のような島につき出たという意味と推測しました。
また、この話は、因幡の素兎伝説(白兎は最近の書き方;古代日本にアルビノの白兎がいたのか疑問)にもつながります
因幡の素兎伝説は、出雲王国・国譲りの変形伝説でしょう。
名和長年(後醍醐天皇を救った武士)は、このあたりの水軍の隊長だったと思われます。
ではまず地名、そして古墳時代の出雲再現画像です。
縄文海進時代の出雲付近;島根半島は4つの島に分かれていた。
これは島根神話が事実を物語っていることを意味する。