【神話を目で確かめる】出雲神話・国引き | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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出雲神話は国引きという話から始まります。

これは、現在の島根半島はあちこちの国を引いてきてできたのだという話で、現代語訳すると下のようになります。



★出雲神話・国引き(Wikipediaより)


当初、作られた出雲国は「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」によれば「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったという[1] 。「狭布」すなわち国の形は東西に細長い布のようであったという[1] 。そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀(新羅 )」「北門佐岐(隠岐 道前)」「北門裏波(隠岐 道後)」「高志(越)[2] 」の余った土地を裂き、四度、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせ、できた土地が現在の島根半島 であるという[1] 。国を引いた綱はそれぞれ薗の長浜(稲佐の浜 )と弓浜半島になった。そして、国引きを終えた八束水臣津野命が叫び声とともに大地に杖を突き刺すと木が繁茂し「意宇の杜(おうのもり)」になったという。



簡単にまとめると、こうなります。

1;島根半島は4つの国を一部切り離して引いてきた。

2;それを引くのに、3本の綱を使った。



また、こんな風に解釈もできるでしょう。

出雲民族は、新羅人、隠岐人、越人の集合体であると。



後半の解釈は意見の分かれるところでしょうが、前半に書いた

①4つの切り取った島

②3本の綱


という部分は、縄文海進時代の後、あるいは古墳海進時代の後を想定して考えると、一目瞭然です。



海進が進んだ時の出雲国。島根半島は4つの島だった。

その後、海進が止み海水が引き、同時に堆積による砂州3本で本州とつながった。







この出雲神話は、旧約聖書にあるノアの方舟伝説同様、過去に起こった事実の寓話でしょうね。


誤解の無いように補足しますが、これはノアという人間が方舟に乗ってアララト山にたどり着いたという話を肯定しているわけではありません。

チグリス&ユーフラテス川の氾濫または急激な海進、あるいは隕石などによる大津波、またはイラン南部で起きた大地震による大津波などの記憶の伝承という意味です。