このラインは、日本各国の神が関係してくるラインです。
では、簡単に説明をば。
左から順に
1;壱岐
縄文時代から人間が住んでおり、紀元前後でさえ3000世帯(2万人前後か?)という、当時の小島としては破格の人間が住んでいた記録がある島。
東北には、いまだに一般人の上陸を禁じられている沖ノ島(全島神域・宗像3女神)があり、大陸や半島との交通の要所というだけでなく重要な島。
2;志賀島
漢委奴国王の金印が発見された場所。
そのため、紀元前後に勢力があった奴国と否定する学者もいる。
しかし、当時の海岸線から考えるといささか疑問点もある。
3;北九州
かつての水門(みなと)。
一部の学者は、ここを邪馬台国としている。
が、これは明らかにおかしい。
北九州はいまでこそ九州一の百万都市だが、紀元前後はまだ海の中か平野部が少なく、もし人が住むとしたならあと少し南の山麓部か直方平野南部であったろうからだ。
ただし、本州側勢力を迎え撃つ、または侵攻する軍の要所ではあったろう。
4;宮島
日本三景・安芸の宮島で知られる古代からの海上交通の要所。
平清盛の信仰が篤く現在のように発展し100万人都市広島の礎を築いたのは清盛だろうが、それ以前から1で述べた宗像3女神を祀る社があった。
宗像3女神はスサノオ系の神であり航行の神でもある。
これは、伝説の山幸彦物語・童話浦島太郎にもつながる。
あるいは、日本書紀の一書にあるスサノオの半島渡航説にもつながってくる。
5;吉備王国
現在は岡山となっている付近は、かつては吉備王国の中心だった。
反体制側の代表ともいえる吉備は、出雲などと並び特に注意を払わなければならなかった。
このため、奈良時代に入る前には、北九州の大宰府とならび吉備へは中央から官僚が派遣され管轄していた。
6;姫路
今では世界遺産で知られる姫路城のある姫路だが、昔から交通の要所ということで発展している。
日本三大けんか祭りのあることでも知られるが、こうした祭りはかつての勢力争いの記憶を残しているのかもしれない。
7;平安京などの古都群
いわずとしれた京都。
京都ほど国の都の期間が長かった町は、世界のどこにもないだろう。
長岡京・宇治・近江京などにも近い。
ここが都になったのは陰陽道によるものだろうが、長く続いたことは、世界レベルで見れば日本がいかに平和な国だったかという証拠でもある。
まあ、日本のような歴史を持つ国があること自体奇跡的ではあるが。
GHQ時代を除けば、日本が他国民に支配されたことはない。
このような国は世界で日本だけである。
ただし、遺伝子的に日本民族というものがあるわけではなく、日本民族意識体としての統一された日本人がいる。
こうした国もまた、遺伝子レベルでも奇跡的なことだ。
現在の民族の中で、日本人ほど多様な遺伝子(Y染色体ハプログループ多様性・独自性)を持っている国民はいない。
8;安土
織田信長が居を構えた場所。
あえて都を見下ろすところに造ったのでしょうが、これまた第二ライン上です。
近江京は大津あたりにあったようですが、近江八幡が安土にあることから、この近くには何らかの信仰が昔からあったのかもしれません。
9;岐阜
3万年くらい前から人が住んでいた古い歴史のある場所であり、天武天皇とも深く関わりがありそうです。
ここは織田信長によって岐阜という名前になりましたが、岐阜という名前は考え方によっては危険な名前で、国家転覆や自分が日本国王だと宣言する名称でもあります。
10;江戸
これは太田道灌が造った新しい町ですが、現在は世界有数の大都市・東京になっています。
古事記には、三浦半島や海の中にある船橋は出てきますが、江戸付近の記述はありません。
ヤマトタケル時代は船橋と同様に、海の中だったでしょうね。
11+12;香取神宮・鹿島神宮
現在の天皇制や官僚機構の基礎を作った中臣家(のちの藤原家)の先祖の地と言われている所です。
こうしたものは、江戸時代にまで影響を及ぼしています。
徳川は、江戸本家以外に御三家というものがありました。
尾張、紀州、水戸です。
これらも実は、古代信仰と関連付けられます。
神武東征で上陸した、紀州・熊野神社(スサノオ系)。
三種の神器のひとつ・草薙剣を保管する、尾張熱田神宮(天武関連)
藤原家元祖を祀る常陸(のちの水戸藩)鹿島神宮
おそらくこれらは、単なる偶然ではないでしょうね。
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