コダイ妄想とは、誇大妄想であると同時に古代妄想です。
かなりマニアックな記事ですが、図のラインを見ただけで普通ではないものを感じるかもしれません。
では、まずその図です。
未明の図と似ていますが、より詳細で複雑です。
しかし、見方によっては単純ともいえるでしょう。
赤い点は、大半が古代史に関与する場所です。
お分かりの通り、赤い点のほとんどが4本のライン上に存在しています。
誤差はおそらく数km。
少し離れていてもせいぜい10km程度です。
偶然と日本の地形に関係していますが、大国主の出雲関連神社のように、明らかに意図的に配置されたとしか考えられないもののあります。
では、それぞれのラインで主な場所に№をふりましたので、j順に列挙していきます。
ただし、相当長くなりそうなので、1本づつ記事にしていきます。
まずは一番上のライン。
1;和多都美神社
これはワタヅミと読みます。ワタヅミとは海神のことです。
日本神話には山幸彦という神様が出てきて、この人が兄の釣り針を無くしてしまって海の国へ行きます。釣り針は見つかったのですが、海神の国があまりに素晴らしくしばらくそこで暮らします。く
このあとは省略しますが、この話は浦島太郎の原型とも言われています。
日本神話では、この山幸彦は天皇家の先祖です。
その海神が祀られている、日本でも非常に古い部類に入る神社です。
安芸の宮島にある水中鳥居の原型と思われます。
2;出雲大社
これは詳しい説明は必要ないでしょう。
古代日本王であった、大国主を祀る社です。
かつてその高さは、48mであったとも96mであったとも言われる巨大な建築物でした。
少なくとも平安時代くらいまでは、日本一高い建物であったと思われる言葉があります。
なお、時代が下ると大陸の大黒様と混同されてしまいますが、本当は大国主と大黒様は関係がありません。
3;大山
現在はダイセンと音読みしますが、もともとはオオヤマだったでしょう。
富士山によく似た形をしており、大神(おおみわ)神社があります。
オオミワとは大三輪のことで、これは大蛇と同時に大国主の別名でもあります。
ヤマタノオロチとは、実は大国主の別の姿かもしれません。
つまり、自然の驚異であり、自然の恵みをも表現したものが大国主かも知れません。
あるいは山岳信仰や、のちの三猿信仰と結びつき庶民の厚い信仰があったと思われます。
日枝神社というのは、この三輪神社系列とも考えられそうです。
4;鳥取
古事記に出てくる地名で、ここで鳥をつかまえたから鳥取と名付けたとあります。
こうした話には何らかの暗示がある思われますが、私には推測できません。
5;永平寺
永平寺自体は鎌倉時代に道元が開いたものですから、日本ではそれほど古い仏閣ではありません。
しかし、もともとは白山信仰に関与したらしく、これも山岳信仰が関与していると思われます。
山岳信仰は飛鳥から奈良時代の役小角までさかのぼれます。
また、古事記などを観ると、天皇家は永平寺のある北陸地方にも深く関与します。
永平寺自体は鎌倉時代からですが、この付近には古くから何らかの信仰を集めるものがあったのではないでしょうか。
6;高山
とんでもない山の中なのに、京都の文化が色濃く生きている不思議な町です。
相当な権力者が関わっていたのでしょう。
蛇足ですが、平成合併で日本一広い市となったようで、一番小さい村の600倍以上広いようです。
7;諏訪大社
伝説では、大国主の子どもですが、天皇への権威委譲に反対したために信州に封じ込められてしまった健御名方を祀っています。
ここの祭りの様子は、中東やインド方面の祭りにも似ています。
8;足利学校
日本最初の学校であり、室町幕府を開いた足利家の地元でもあります。
この付近には岩宿遺跡や葛生原人化石などのみならず、関東最大級最多数、日本でも有数の古墳所在地です。
9;大前神社
大国主の温厚な息子である事代主を祀る神社で、伝説では神代の時代からあった神社です。
事代主はのちに夷さまとなってしまったためか、現在は日本一大きな夷様が祀られています。
将軍家などからも信仰が篤い神社でした。
10;常陸出雲大社
伝説では大国主と。ともに日本を作り上げた神をまつっており、1500年以上の歴史があることになっています。
すぐ近くには、大国主の先祖であるスサノオに関係する稲田神社があり、大変不思議なイチョウがあることでも知られています。
この界隈は古事記のヤマトタケル伝説に新治として出てきており、古代から開けていたということが分かります。
また、付近の地名に岩瀬とあることなどから、古代には標高50mくらいあるこの付近まで海だったことも分かります。
11;村松山
日本三大虚空菩薩があり、古くから信仰を集めてきました。
現在はすたれてしまったかもしれませんが、北関東の一部地域や会津など南東北の一部には元服にここへ<お参りする風習がありました。
私の子どもの頃まではこの風習が残っており、13歳になると村中お子どもたちが貸し切りバスでおまいりにいきました。
これを十三参りと呼んでいましたが、今は無くなってしまったかも知れません。
はあ、疲れた。
興味のある方は、二番目、三番目、それから一番下のラインについて考えてみると、結構楽しめるかもしれません。
とにかく、面白いラインです。