またまたヒースローでの話です。
私は、特別室に案内されたことがあるのです。
でも実は、どうだ。すごいでしょ!と胸を張って自慢できることではないのです。
特別室とはいっても、残念ながらエグゼクティブルームとかではないのですなあ。
はい。特別調査室です。
つまり不審人物としての尋問のため。
今考えると、よくぞ切り抜けたなと思います。
尋問とはいっても、それは私の風貌や、昨日記事にしたような無謀な行動によるものではないですよ。
もっとも、当時の私の顔は国際指名手配されている、日本では真っ先に名前が上がるようなテロリストにもかなり似ている顔つきではありましたが。
しかし、その時はそれとは関係がない。
たぶん。
スイス航空に乗り換えるために、ベルトコンベアから流れてきたバッグをつかんだ直後のこと。
有無を言わさぬ雰囲気の空港警察と思われる男が近づき、ついてくるよう命じられたのです。
そこは、6畳か8畳くらいの特別室。
パスポート提示は無論、バッグの中身をすべて開けさせられちゃいました。
そこには、仕事に使うヘアスプレーに似た缶が半ダース入っています。
それが問題視されたようでした。
今だとおそらく危険物扱いされる代物と分かっているから、そんなものを入れたりはしなません。
しかし、当時はヘアスプレー程度ならよく入れていましたし、胸ポケットに百円ライターを入れておいても問題にならなかったのです。
ある人など、皮むき用小刀さえ持ち込もうとしたことがあります。
が、さすがにこれは成田でさえ係官に取り上げられましたが。
他国だったら、別室行だったかもしれないですね。
話を戻しましょう。
問題となったのは、そのスプレー缶が爆発するとかいう危険性からではなかったのです。
スプレー化の中身、フロンガスです。
日本ではまだ、フロンガスによるオゾンホールなどと言うものが話題になっていなかった時代でした。
係官から内容物に問題があるのだと指摘されたのは理解できましたが、また化学物質としてのフロンの名前くらいは知っていましたが、いったい何がいけないのか当時の私には分かりませんでした。
とにかく日本や東南アジアでは常時使用していたもので、ある作業には欠かせないものだったからです。
しかし、不思議。
なんで、バッグの中ににそんなものがあることを知っていたのだろう。
いやいや、考え方を変えればけして不思議ではないか。
中国でなら当たり前のことだったから。
その時も、なぜ知っていたかを疑問には思いませんでした。
とにかくそれは、出張先に必ず必要なものでした。
それがないと、仕事に大きく支障をきたすものだったのです。
ハッキリとは覚えていなませんが、言い訳として英国に持ち込むものではないことや、これから行く場所で必要不可欠なものであること、それは会社に問い合わせてもらえばわかることなどを、具体的な使用例を含めて何度か説明したような気はします。
そこでどれくらい絞られたかは、覚えていません。
が、3、4時間後の乗り継ぎ便には乗れたのですから、おそらく1時間以上ということはなかったでしょう。
下手な英語でよく解放され、またそのスプレー缶を没収されずに解放されたものだと思います。
これは、いまだに不思議なことです。
ここでも、赤いパスポートの背後霊が助けてくれたのかも知れないですね。
しかし面白いものです。
理論的には、フロンは地球規模で考えなくてはいけないものであろうに、ある地域では問題になるまでに相当時間がかかる。
いやいや、そんなことは、どこにでもあることですかね。
PM2.5の値が日本で大ぎ騒ぎするレベルの3倍くらういあってもmoderate(並)として全く問題視されなかったり、自国の放射線量のが高いのに日本からの海産物輸入を制限するような、非論理的なことも時々は聞きますゆえ。