このブログで過去に記事にした内容もありますが、それはいささか脚色があるものでした。
今回は、それらと重複する内容になりますが、ほとんど脚色なしでまとめていってみます。
飛行機の思い出とは書いたものの、海外を飛び回るビジネスマンから見たら実はお子ちゃまレベルで、実はあまり飛行機には乗っていません。
片道1回として、合わせてもおそらく100回は超えていません。
そういう意味では、海外専門のビジネスマンの方々には笑われる回数でしょう。
それでも、何回かは冷や汗をかいたことがあります。
今回は、その1回目。
★全員蒼白
成田の係官から声をかけられた。
「なんかあったんですか。みなさん幽霊を見たような顔をしていますが」
「わかりますか。ええ、あと少しで幽霊になるところでしたから」
1時間ほど時を遡る。
6月下旬。
上海を急角度で飛び立った飛行機は、東を目指した。
流石、解放軍のパイロットが機長と噂されるだけある機だ。
背中にかかるGは、他社のそれとは違う。
上昇角度も、英国航空と並ぶなかなかの急角度である。
それでも、しばらくは普通のフライトだった。
1時間くらいしたあたりだろう。
機体がガタガタと揺れ始めた。
翼がしなっているのが見える。
機内アナウンスが流れる。
どうも気流が荒れているところがあるらしく、シートベルトを締めるような指示が出た。
そうか、梅雨前線を通過するのだなと推測した。
揺れは一層激しくなる。
いや、揺れと言うような生易しいものではない。
シートベルトをしていなかったなら、天井に頭がつくのではないかと思われるくらいに、ジェットコースター飛行になってくる。
それだけではない。機体が左右にゆすぶられ、車でたとえるならS字カーブの連続だ。
窓から見える左の翼が折れるのではないかと思うくらい、上下にしなっている。
最初のうちは黄色い声が機内に響いていたが、連続する揺れにむしろ静まりかえった。
エンジン音と、気色悪いのうめきのような機体のギーッギーッという音が聞こえるばかりである。
飛行機は、30回目くらいまでは楽しかった。
が、この時からどうも苦手になった。
この時私は、私の中では大変貴重なものを持っていた。
飛行機が落ちても、これだけは守りたい。
そんな思いだった。
上野にダ・ヴィンチの絵が来た時の話を思い出した。
確か船が沈んでも、『モナリザ』だけは助かるような工夫をしていたと思う。
それは今実家においてある。
人によっては1円の価値もない土くれだが、私にとっては目に見える物だけでいえば、もっとも貴重な代物だ。
もちろん、目に見えぬものの価値とは比較しようがない。
追記
無事成田に着陸し、シートベルトを外してよいチャイムが鳴った時は、どこからともなく拍手と歓声がわき、しばらく止むことはなかった。
もちろん私も、思わず拍手をしていた。
大切な土くれの入ったバッグを見ながら。