【タクシーの思い出】総まとめ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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世間を少しばかり斜めから見てしまうしま爺さんの短編小説や随筆集などなど
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タクシーに関するエピソードは多い。

過去記事にしていたが、今回はまとめてみよう。

笑える話から、結構危ない話になっていきます。



★大丈夫?

短期出張を終え、ジュラ山脈の中にある辺鄙な町からジュネーブへの帰り道。

ホテルに会社が頼んでくれていたタクシーがやって来た。

が、いざ乗り込もうとしてかなり不安になった。

なぜなら、運転手さんは白髪の老人。

見た目は、80歳くらいと思われる老女だったからだ。

おそらくそこまでの年ではなかったろうが、いまでもその老女の顔は覚えている。


片言の英語だった。

が、運転は思いの外スムーズで、結構なスピードを出した。

高速道路でもない200kmの道を、2時間くらいで走り抜けた。

とはいえ、急ハンドル急ブレーキに、いささか冷や冷やした記憶でもある。




★出られない

香港には何度か行ってはいたが、真夜中に着いたのは初めてだった。

東南アジアでは、空港のタクシーを利用するにはそれなりの注意が必要だ。

旅行者とみられると、とんでもない額を吹っ掛けられたり、場合によっては泥棒に遭う。


そのタクシーはとりあえずあたりだった。

遠回りすることもなしに、目的のホテル方向に進んでいるという気がした。

もちろん、深夜だから乗っている間も常時緊張はしていたが。

九龍の馴染みある繁華街が見えてきて、やっとほっとした。

ここまでくれば、多少迷ってもホテルには行けそうだ。


が、問題はそこからだった。

タクシーがホテルの前に止まった。

今度こそ本当にほっとして息を吐く。

メーターを見て多少色を付けて、金を出す。


が、運転手がドアを開けてくれない。

と同時に、偉い剣幕で怒鳴り出した。


なんだなんだ?

途中から広東語になってしまい、さっぱりわからない。

とにかく怒鳴ってにらみつけてくる。


おそらく1、2分間だったろうが、結構な時間に思えた。

そんな様子に気づいたホテルのボーイが近づいてくる。

運転手とボーイが何やら話し込んでいる。


で、なぜ私が車から出られないかをボーイが教えてくれた。

チップ不足である。



納得し、ボーイに教えられた額をドライバーに渡すと、確かにさっと車のドアが開いた。

ボーイにもそれなりの感謝を形にして、なんとかベッドに横になれた。


結果的にたいした額ではなかったが、それまでタクシードライバーともめたことはなかったので、初めての経験にこの時は少し焦った。






★バカな旅行者のふりをした冒険

これは、法律上やや問題があるかもしれないし、一部の方々のイメージを大きく変えてしまうので某国としておこう。まあ、分かる人には分かるが。

その国は、日本人にはかなり人気のある国だ。

安全世界一と思われる平和ボケ日本人が初めて行っても、スリやら強姦などに遭うことは皆無に近い非常に素晴らしく美しい街並みの国でのことである。


ある程度そんな生温い生活ばかりしていると、たまには冒険もしてみたくなる。

いや、そんな感情を持つ私が問題ありかな。

とにかく会社員になってあまり月日がたたない頃の私は、何でも自分の目と体でなんでも体験をしたかった。

それは、学生時代の専門が、山登り以外の時は悩みぐつぐつ引きこもり科であったことも影響するだろう。みじめな学生であったともいえる。



ということで、冒険の始まりである。

普段は現地人と同じようなTシャツに半ズボン姿であったが、その時は少しおめかしをして街に出た気がする。

流しのタクシーをつかまえる。


どこか面白いところないの?

と水をかける。

もちろん、慣れない旅行者らしくジャングリッシでだ。

最初は黙っていた運転手だったが、これはうまい餌だと感じたのだろう。

急に饒舌になり、分かった、よし面白いところがあるから連れていってやるということになった。




車はやっぱり、中森明菜の曲の歌詞に似た名前の、その町方向に進んでいった。

止まったのは、なんと私がよくお邪魔するお宅?の2、3軒隣であった。


運転手と一緒に入ると、鉄城門が下ろされる。

初めての観光客だと焦るかもしれないが、そうした場所では常識的なことだ。


ただし、そこからは私の馴染みのお宅とは全く様相が違った。

ブッチャー、いや若い人には分からないか。

若い人にも分かる表現にするなら、浅黒い肌にして指名手配犯人モンタージュのような顔にした白鵬みたいな体つきの男が現れた。


ほう、おバカなスケベ観光客はこういうものを目にするのだな、と新しいことを知った。


運転手にもそれなりのものを渡さなければならない。

ほう、結構えぐい商売をしている。



そのあとは、省略しよう。

私は、それなりのものをつかんで店を出た。

で、歩いて1分もかからぬすぐ隣の馴染みのお宅で、紅茶をよばれて帰った。


日本と並ぶきわめて安全で美しい国。

法律は厳しいが、ちゃんとガス抜きは作っている。

しかし、その存在を知る観光客はほとんどいないし、旅行ガイドにも載っていない。

いや、裏事情を知っている人が読めばそれなりの暗示があることは分かるのだが、なかなかそこまでは読解できないだろう。


たとえば、こんな表現だ。

「現地の方々の住宅事情を知ることもできますが、十分に気を付けてください」





★緊張の2時間半

ベトナムは初めてであった。

1週間にも満たない出張だったが、寝る間も惜しんで老体にむち打ち夜中まで働いた気がする。

で、最終日。

非常に家族的だったホテルから去る日である。

私がベトナムをたいへん好きになったのは、そのホテルの待遇や雰囲気にもあった。

観光旅行客ガイドには載らないようなホテルだが、非常にフランキーで明るく、また簡単なジョークも通じるところだ。

ほんのわずかな滞在だったが、私の記憶の中ではトップ5に入るホテルであった。


さて、会社から頼まれたというタクシーがやってくる。

その日は現地の日本人社長は外に出ていて、連絡がつかない。

また、会社は連休に入った。

いささか不安な気持ちでタクシーに乗る。

と言うのは、予定されていた時刻より相当早い時刻に来たからだ。

今までの経験では、東南アジアでは予定時刻に遅れることはあっても、ずいぶん前に来るという経験はない。

それだけに、逆に不安でもあった。

だいたい、そのホテルから飛行場まではたっぷり2時間はかかる。

交通事情によっては、4時間近いこともあるのは知っていた。



タクシーに乗り込んだ時は、日が暮れかかっていた。

深夜便に乗り、明け方に成田。

その足で会社と言う予定である。


タクシーが走り出した。

ドライバーはほとんど英語が話せない。


途中で飴のようなものを出されたが、最悪を考えて断った。


いよいよ会話が少なくなる。

走っているのは、その国の幹線道路とはいえ、ほとんど暗闇の田圃道みたいところもある。


かと思うと、とんでもなく飛ばすトラックやら、逆に日本のトラック積載の2倍くらいの荷物を積んだ牛のような速度のトラックが前をふさいだりする。


200km弱の旅程だが、信号はほとんどない。


ベトナムに行ったことがある方ならお分かりだろうが、おそらく今でも、またかなり大きな町でも、信号のある場所は極めて少ない。

老人が道を横切るのは、ある意味命がけだろう。

いや、若者だって、日本人の道路に慣れてしまっていたら相当怖いはずだ。

あの国で運転できる日本人は尊敬に値する。

自慢にはならないが、私だったら1日で人身事故を起こしてしまうだろう。


話を戻そう。


長い長い沈黙の2時間半。

ハノイ空港が目に入ってきた時は、私は心の中で一息ついた。

同時に、久々に味わった変な緊張感に一気に疲れが出た。






★同乗者


これはタイでのことだ。

深夜便で、タイ・ドンムアン空港に着いた。

ここのタクシーは相当注意しなければならない。

特に夜は。

が、多少慣れてきたので、ほとんど気にせず空港で待っているタクシーをつかまえた。

で、発車しようとしたら、急に現地人の男が後部座席に乗り込んできた。


まずい。あのパターンかなと思った。

とはいえ、ここで変に構えるとかえってまずい。

とにかく車は男を乗せてすぐに走り出しているのだから。


このあたりの常識だが、客はドライバーの隣に座る。

日本のように、運転手任せで後部座席で寝ていたりすると、場合によっては危険だからだ。


平静を装った。

タクシードライバーの友人で、ちょうど帰るところなので一緒に乗せていくのだという。

それにしては、あまりにタイミングが良すぎる。

私が乗り込んですぐに入って来たのだから。


まあ、しかしそんな考えはおくびにも出せない。


多少タイ語も話せるようになっていたから、一言言葉位はタイ語で受け答えし、見た目は和気あいあいの同乗者とドライバーの1時間であった。



アパートに着いた。


同乗者が、部屋まで荷物を運んでやると言っている。

これは丁重に断った。


入り口にいる屈強な守衛が目に入ったからだろう。

その男はそれ以上何も言わなかった。




今考えると、あれはかなり危険なことだったのかもしれない。


どういう経緯かは計り知れないが、比較的身近な人間がタクシーがらみで犠牲になっている。