これは過去に書いた作品の加飾加筆・推敲版です。
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飛行場からは、その夜の宿のホテルが用意してくれたバスに乗る。
しばらく走ると、あたりに田園風景が広がった。
この時私は、奇妙な感覚に陥った。
その風景は、私の子供のころの記憶にある、懐かしい田園風景そのものだったからだ。
田んぼの中で、牛がのんびりと田かきしている。
それほど遠くないところには緑の山が見え、ところどころに白い靄のようなものが見える。
それは、正月に咲く桜であった。
田んぼ道を歩く人々の顔も、昔の田舎の日本人のそれだ。
赤道付近では当たり前の、ヤシの木も見えない。
いささか日本の風景と違うのは、赤い花をいっぱいにつけたアカシアの木が目に痛いことくらいだった。
その日は、町一番のホテルに泊まる。
湯たんぽか水枕のようなものが付いてきた気がしないでもないが、このあたりは忘れたことにしておこう。
さて、翌日。
久々に朝の涼しさに感激する。長い間忘れていた、心地よい目覚めだ。
早い朝食の後、いよいよ三角地帯に入る。
とはいっても、私はCIAでも政府関係者でも、あるいはジャーナリストでもない。
単なるおバカな旅行者である。
が、その考えが相当甘いことは、途中で乗り換えた専用タクシーを見て初めて気付かされた。
専用タクシーと言っても、日本の感覚でのタクシーではない。
小型トラックである。
荷台にはロープがついている。
乗員は、そのロープにつかまって振り落とされないようにしなければならない。
まあ、その程度ならばよくあることだ。
大きく違ったのは、ドライバー以外に3人の助手がついていたことだ。
1人は、運転手の脇で小銃を構えて座っている。
荷台には、私と先輩の2人以外にライフル銃を構えた兵士2人が乗り込む。
落ちても拾わないから、しっかりつかまっていてくれと言われた。
日光いろは坂がかわゆく思えるような、つづら折りの黄色い山道をとんでもないスピードで走っていく。
こちらは、ロープに必死でつかまっているのが精一杯。
トラックは尻を振りながら、落ちたらただじゃすまないなという崖を下に見ながら疾走する。
山賊からの射撃標的にならないためだ。
あちこちに咲いている桜ばかり、妙に美しい。
そんな道を、どのくらいの時間揺られたかは思い出せない。
しかし、記憶では相当長い時間になっている。
山の頂付近に比較的なだらかな丘があり、そこがこの地方の中心的な村になっていた。
私たちのようなおバカ旅行者も、たまにはいたのだろう。
アメリカでさえ手を出せなかったクン何とかが支配していた当時でさえ、小さな土産物屋のようなものがあった。
半分観光目的であるらしい、現地の民家を覗く。
と、長いキセルのようなもので、タバコのようなものを吸っている。
どうだ、お前もやらんかね?
その小旅行の時だけ現地人と会話のできる人物に代った、旅行代理店の孫請け通訳が言った。
家の中で煙を吐いている中年が、うつろな目でこちらを見、キセルを差し出す。
背中には、その中年や通訳とは違う、冷たい視線を感じる。
いや、遠慮しとくよ。
私は、それなりの勇気をもってNOと答えた。
わずかばかりの感謝の気持ちを形に変えたものを手渡しながら。
国や地域によっては、帰りのタクシー代としてお茶菓子や切り餅を断るのは、それなりに勇気が必要な場合がある。
それは、蜂蜜ゼリーや湯たんぽ、水枕も同様だろう。
これは勘繰りだが、日本の先生方の中には煮沸消毒しないで蜂蜜を食べてしまい、一生お腹を壊してしまっている方もいるのではなかろうか。
ふと、そう思った。