曽野綾子という方がどのような文章を以前に書いていたかは、恥ずかしながら知らない。
だから、これは今回話題になっている文章だけの印象です。
文章全体は、インターネットで言われているような人種差別を肯定する内容でも、またそれを助長する内容でもないと感じた。
ただし、見方によってはそうとられてしまうに十分すぎるほど危ない表現が見られる。
仮に事実や経験を書いたのであったとしても、読み方では差別を肯定しているとなるだろう。
その意味で、著者にも編集者にも、読み手の受け取り方を類推する、また現代感覚を憶測する思慮に欠けていたと思う。
おそらく本人が言いたかったことと相当違った解釈がなされたのみならず、蛇に羽を付けた内容がインターネット世界では広がっているような気がする。
話は変わるが、こうした移民やら他国民族に関しての話題の中に、博愛の精神とかチャリティーなる言葉を聞くことがある。
これらの言葉の奥には、日本では何もなくまさにその言葉通りであろう。
が、白人社会におけるこの言葉の深いところには、長く染み着いた差別意識のようなものがあると感じたことがあった。
ある程度白人社会に住んで、それなりの時間がたってからの事だが。
また、これは野次馬の勘繰りだが、人道的で知られる世界的な方にも結構すごい金の亡者もいるかもしれない。
まっ、貧乏人である私の遠吠えだろうけど。
言葉のイメージは怖い。
言葉だけで見てしまうと、理想的な平等社会のように思えてしまうものがあったりする。
しかし実態は、日本の数万倍もの格差社会であったりする。
また、そうした言葉のマジックに騙されてしまうことも少なくないだろう。