【戦後中国の歴史】その2;大躍進政策と文革への道・・・人類史上最悪の結果へ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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中華人民共和国が成立し、中華民国を台湾に追いやって10年たった1958年。


毛沢東は、新たなる目標を掲げます。


それは、アメリカに追いつけ、追い越せ。


ということで、学生を含めたほとんどの人民が、農地や製鉄関連作業にかりたてられます。





特に力を入れたのが、製鉄。

当時世界一の生産を誇っていたイギリスを追い越せとばかりに、農家の庭先にも簡易製鉄所が作られました。


ただし、まったく使い物にならない鉄くずができただけ。




かつ、党の命令で鍋釜も製鉄用に持っていかれたので、庶民は食事を作ることも難しくなってきます。









そして、わずか2年でこの政策が大失敗だったことが分かります.


耕地が荒れ、米や麦などの穀物は壊滅状態となります。




さらに、天候不順が追い打ちをかけ、その犠牲者は資料によって3000万人~1億人単位。

人類史上、類をみない飢餓が大陸を襲います。

文革後に出した中国共産党の発表でさえ、犠牲者は3000万人を超えています。

ただし、最近の<歴史の本>では大躍進政策には触れず、天災により未曾有の犠牲者が出たといった不思議な説明をしているものもあります。


典型的な歴史改変です。


墓に埋められることなく、田畑にほうっておかれたままの死体。







この失策により、毛沢東は一旦主席から外れ、表の場からは消えます。


そこで台頭してきたのが、理論ではなく実務にたけた、劉少奇や鄧小平等です。

彼らによって、デタラメ農業が改善され餓死者も少なくなっていきます。








おさまらないのが、毛沢東。

漢人の大切にするメンツを、ことごとくつぶされたわけです。


毛沢東は、こんな文書を出して現政府を倒せと葉っぱかけを始めます。

これが、さらなる悲劇である文化大革命の始まりでした。