阪神淡路大地震
あれから20年ですか。
あっという間だった。
この年月と同じ年数を、私はまだこの世でブツブツ言っていられるだろうか。
最近の眠り病からすると、かなり難しいかもしれないなあなどと、ずいぶんマイナーな考えさえしてしまう。
そこで、爺さんらしく昔の話に話題を変えよう。
人生で最も記憶に残ることを100挙げろと言われたら、この阪神淡路大地震の記憶は、おそらくその真ん中あたりに入ってくるだろう。
それだけ強い印象がある。
また、私が生まれて初めてといっていいくらい政治に怒りを覚えたのも、この地震の時からだった。
この怒りは、翌年のカイワレ大根事件で一層政治家への不信へと変わっていく。
それはさておき、まずこの地震から思い出そう。
朝6時のニュースだったと思う。
その画面に、私は朝から変な映画を流しているなあと思ってしまった。
それほど現実味のない風景が映し出されていた。
が、それが現実に起きていることだと知り震えがきた。
これは大変な地震だ。
政府は何をしているのだ。
緊急事態宣言さえ出していないのではないか。
素人目にも、十とか百ではなく、千あるいは万人単位の犠牲者が出ているのが分かる。
政府は何をしているのだ。
NHKも民放のテレビも、何をのんびりした中継をしているのだと。
後に、当時の社会党(現在の社民党や民主党の一部)の村山首相が米軍の救援などの話に首を縦に振らなかったことなどを知り、この怒りは一層増した。
また、へんな配慮か連絡不足、あるいは判断の誤りなどで、自衛隊のほとんどすべての救援要請さえ4時間もたってからの発動となったのを知る。
人命より、主義主張を優先させた政府。
ひどい対応としか言えない。
一部の民放は、温泉地でも紹介するような間抜けな報道もしていた気がする。
当時私は海外から帰国し関東で塾の講師をしていたが、教え子の親戚が関西からやってきて受験どころではなくなったケースもあった。
直接の知り合いで亡くなった方はいなかったが、知り合いの中には親戚や知人などを失った方もいた。
あの時は、自民党政権ではなかった。
これは単なる偶然だが、東日本大地震の時の政権も、中国や韓国に必要以上に配慮するいわゆる左派政権だった。
単なる偶然とはいえ、国民にはおおきな不幸を招いてしまった。
とにかく、危機管理や処理能力に乏しい政権だから、助かる命も失ってしまった可能性が非常に高いと思っている。
あれから20年。
あっと言うまであった。
この間に、私はどんな成長をしたのだろうか。
むしろ退化したことの方が、はるかに多い気がする。
卑劣なサリン事件の犠牲者や、マスコミや政府のカイワレ事件の風評被害でなくなったかもしれない方々を含め合掌。