先の記事にもしているが、ここのところ不思議な表現の自由が叫ばれている。
ヘイトスピーチや人種差別を嘆く方々が、j○○は死ねとか、人間じゃないとか、キチガイとか、あるいは日本人じゃないとかを平気で使っているのには、呆れてものが言えない。
また、この映像にあるような行動をするのは私はヘイトスピーチ以上にひどいと考えてしまうが、ほとんどのマスコミはニュースにしないから、たぶん日常茶飯事なのだろうな。
あるいは、表現の自由と考えているのだろうな。
私には、新大久保の壁に書かれていたといわれている、非常に特徴ある文字を使った落書き以上に問題があると思いますがね。
そういえば、あの新大久保の落書きの文字の筆順や形の不自然さや、別のところにあった落書きとの共通性がインターネットで騒がれ出したら、急に消す作業をはじめてしまい、それをNHKがニュースにしていましたね。偶然。
NHKさんは、偶然差別反対派の在日の方に街中で会いインタビューできたり、偶然1年前にあった方に街中で再度撮影できたり、地方でインタビューした方がたまたまある件に詳しい都会から出てきた方だったりと、偶然に恵まれたラッキーな会社ですから、まあそんなことも世の中にはあるでしょう。
話を戻しますが、私には、これらは表現の自由とは受け取れません。
さて、次はサザンの桑田氏が紫綬褒章を5000円からオークションにかけるような話をしたジョー
クに関して。
これも風刺の一種だから問題ないとする見方の人がいたりする。
まあ、100歩譲ってそれを認めたとする。
ところが、フランスの新聞社の件は相手の気持ちになって考えることが大切だときたもんだ。
おかしくはないかい。
勲章、ましてや紫綬褒章のようなものをいただいた方々は、ほぼ100%それを誇りに思い、感謝していると思う。
その感謝とは、単に天皇とか政府とかだけではなく、自分を支えてくれた人たち、環境、国。
そうしたものへの感謝にあふれているであろう。
それゆえに誇りにも思えるに相違ない。
ところが、一部の方々にとっては、そうした大多数と思われる、まだ早いと辞退したイチロウ含め、ほぼすべての方々にとっての誇りと感謝の心ををこき下ろしたことになる。
つまり、フランスの新聞社と大差ないことをしている。
それなのに、桑田氏の行為は素晴らしいと持ち上げる。
このあたりは、素直には私には理解できない。
ただし、素直ではないある先入観というか、一種差別的かもしれない見方をすれば、簡単に理解はできる。
理解はできるが、もちろん納得はしない。
今回の件で、桑田氏は人生を大きく狂わせてしまった。
かなり可哀想な気もしている。
単なる歯車でしかなかったと、おいおい気付くのであろうから。