黄山(ホワンシャン)

中国(中華人民共和国の意味ではない)には、峨眉山や天台山、蘆山などの山が歴史にはよく出てくるが、それらを引き離して、中国では昔から天下第一の山として知られたのが、この黄山だ。
『黄山を見ずして、山を見たと言うなかれ』という格言もある。
神話上の天帝である黄帝の在所であり、仙人の住む山とも言われ、古来から水墨画を描く者たちのみならず、詩人など文人が一度は見てみたい山であった。
とは言え、黄山という山があるわけではない。
奇岩が連なる山塊全体を、黄山と呼んでいる。
この山塊の面積は、伊豆大島の1.6倍以上ある。
広大な山塊のどれひとつをとっても、同じものはない。
奇岩では桂林や石林が有名だが、そこを訪れた人に言わせると、黄山を見てしまうと桂林も石林もさっぱり味気がないものになるという。
私が唯一、旅行だけのために海外に出かけた場所である。
まあ、画家さんの鞄持ち的なところもあったが。
当時は、世界遺産にも登録されていなかったし、ケーブルカーはおろか、ろくな宿もなかった。
登るのは足だけが頼りである。
「落ちても助けられませんから」と言われた。が、単なる冗談でもなかったろう。
画家の先生は御高齢であったため、籠のようなものに乗った。
往復使用料金は、首相クラスの名目上の月給に近かったろう。労働者の数か月分の月給である。
でも、籠に乗るほうが怖い気もする。日本にあるような籠ではなく、神輿の上にへばりつくような籠だからだ。
半島ドラマで、王様が乗るような類の乗り物である。あるいは、江戸時代の大井川の渡しにも似ていた。
ここで私は、かの国の不合理と非情なまでの現地人差別、外国人監視の厳しさを体験することとなる。
同時に、コップ1杯の水の大切さを、生まれて初めて実感した気がする。
さらに忘れられないのが、プロの画家の、身が震えるほどの、恐ろしいまでの集中力と技術だ。
これを直に見られたことは、私の一生の宝である。


当時はすごい世界だった。
少し田舎の風景や人の様子は、紀元前の世界にタイムスリップした気分になった。
同行の女性陣(皆私の母かそれ以上の方々だったが)が最も苦労したのは、トイレらしい。
これは、あちらに行ったことがある人なら、開国直後のあちらの田舎のトイレがどのようなものかはおよそ想像がつくだろう。非常にオープンである。女性陣は、傘を持ってトイレに行っていた。
そこの麓の宿行くまでに1日バスに揺られるが、2、3時間ごとにやっと行かせてもらったトイレが、そんな風なオープン・トイレである。しかも、なかなか風情ある香りに満ちている。
現在は、世界遺産登録前にできたケーブルカーのおかげで、楽に山歩きができるようだ。
おそらく、交通の便もよくなったろう。
でも、仙人の住む山の風情は失われてしまったのだろうな。
山とは汗水流して登ることにこそ意義がある、と私は考えているからだ。
★データ
黄山塊 標高は1000m程度だが、垂直近い数百メートルの絶壁が多数 山塊面積154k㎡
中華人民共和国・安徽省
黄山にある九華山は、地蔵仏教の総本山
古来水墨画の題材(ただし、実際に到達した人は少なかった様子)
端渓と並ぶ、硯の名所歙県にも近い(歙県の硯は、日中友好の際、角さんへのプレゼントにもなっている)