【教えられないかもしれない歴史】上海租界 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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昨日は、戦前のアジア東部の国々の地図を載せた。

いろいろな方のブログを見ていて思ったが、若い人たちはあのような事実はほとんど知らないようだ。

いや、私のようなそれなりの年齢の方でさえ、さっぱりわかっていないような記事をときどき見かける。


あるいは、私の時代でも義務教育では教えられなかったかもしれない。



そんな地図を、もう一枚掲載しよう。

これは第二次世界大戦までの中華人民共和国最大の都市、いや東洋一とうたわれた上海の地図だ。


租界という名前は分かりにくいが、早い話が外国である。

ここにおいては、自国の法律が適用されない。

もっとも、この当時、東アジアのここの国ってどこだろう?という基本的な疑問もあるが。


当時支那と呼ばれたあたりは、イギリス、フランスが大半を支配し、ドイツ、日本などが一部を支配していた。

また、アメリカも実質的な小国を持っていた。

当時そこには、統一した国はなかった。支那は列強によって分割されていた。


下の地図は、1940年に日本が作成した上海の地図だ。

日本人租界という言葉が作られてしまっているが、そうしたものは正式には存在しない。

共同租界の中で、日本人が多く住んでいた地域を、そう呼んでいたに過ぎない。

あるいは戦後の教育が、そうした間違った教育で日本人を洗脳しただけである。

先日嘘をみとめた新聞社に似たことを、一部の人たちが歴史に作り上げただけである。


ちょっと前の上海を知っている方なら、この地図を見てすぐにわかることがある。


東京でいうならば、東京駅を中心とした23区の主要部分は、租界になっている。





参考;戦前の支那地方と、周辺の主な国々


★支那という言葉はいけないらしいが、この時代この国を中国と呼べますか?