所謂【魏志倭人伝】その25 景初2年遣魏使 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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さて、また本文に戻るぞ。


景初2年6月に、倭の女王が大夫難升米らを郡に派遣させて、天使に朝見できるように要求した。


景初2年というと西暦で238年だ。郡とはもちろん、今のソウル付近に本拠地があった帯方郡だ。

天使というのは、魏皇帝の明帝のこと。

さて、ここで面白い事実がある。

西暦247年と西暦248年に、九州方面で皆既日食の見られた可能性がある。

これについては、このシリーズ最後に記す予定だが、覚えておいてほしいな。


さて、倭の求めに応じて太守の劉夏は、役人とともに倭人の遣いを京都まで送らせた。


太守というのは、郡の長官。つまり、帯方郡のトップだな。

ただし、勘違いするなよ。あちらの郡というのは県の集まりの上にある。

場所によっては、郡1つで九州より大きいものもある。

日本で言えば、東北地方とか、関東地方とかに相当する。

京都は覚えていよう。魏の都、洛陽だ。

北九州からだと、海路、陸路合わせて優に2000kmはある。


その年の12月。

詔書で倭の女王に報じて曰く・・・・・・・。


うーむ、つかりたび。


続きは次回だな。