さて、また本文に戻るぞ。
景初2年6月に、倭の女王が大夫難升米らを郡に派遣させて、天使に朝見できるように要求した。
景初2年というと西暦で238年だ。郡とはもちろん、今のソウル付近に本拠地があった帯方郡だ。
天使というのは、魏皇帝の明帝のこと。
さて、ここで面白い事実がある。
西暦247年と西暦248年に、九州方面で皆既日食の見られた可能性がある。
これについては、このシリーズ最後に記す予定だが、覚えておいてほしいな。
さて、倭の求めに応じて太守の劉夏は、役人とともに倭人の遣いを京都まで送らせた。
太守というのは、郡の長官。つまり、帯方郡のトップだな。
ただし、勘違いするなよ。あちらの郡というのは県の集まりの上にある。
場所によっては、郡1つで九州より大きいものもある。
日本で言えば、東北地方とか、関東地方とかに相当する。
京都は覚えていよう。魏の都、洛陽だ。
北九州からだと、海路、陸路合わせて優に2000kmはある。
その年の12月。
詔書で倭の女王に報じて曰く・・・・・・・。
うーむ、つかりたび。
続きは次回だな。