まだ、卑弥呼への親書は続く。
あなたが遣い来させた難升米と牛利は、遠路まことに大義。ご苦労である。
いまここに難升米を率善中朗将とし、牛利を率善校尉として任命し、銀印青綬を与えて、その労をねぎらい還したい。
さて、わかりづらい言葉の嵐だな。
難升米と牛利は、覚えているかな?
遣魏使の長官ならびに次官だ。
率善中朗将というのは、五官左右三薯の長官とあるから、大臣クラスのことだろう。
率善校尉とは宮城の宿営とあるので、宮内庁の侍従クラスかなあ。
とにかく、蛮族に与える位ではないだろう。
銀印青綬というのもすごい。
金印紫綬を最高クラスとすれば、その次くらいのランクだ。
魏国内ならば、皇族ではない諸侯クラスに与えるものだろう。
調べてはいないが、単に魏への遣いに、これほどの厚遇も珍しいのではないかな。
またここに、絳地交竜錦五匹と絳地縐栗罽十張、蒨絳五十匹・紺青五十匹をもってあなたのあなたの貢物に応じて与えよう。
うん?さっぱり分からない?
確かに、儂にもわからない言葉で困っておる。
この漢字を見つけるのにさえ、苦労したんじゃわい。
あんちょこを見ても、どうもよくわからない。だから、かなりの推論も交えて説明するぞ。
絳地交竜錦(こうちこうりゅうきん)とは、ワニかサメの絵の入った紬。
絳地縐栗罽(こうちすうぞくけい)は栗模様のあるちぢみだ。
蒨絳(せんこう)とは茜色の布だろう。紺青(こんじょう)は群青色のことだ。
なに?おお、いいところに気付いた。
うん。卑弥呼が献上したのはわずか二匹二丈の木綿布。
それがお返しは、その長さで数十倍。価値にしたなら数百倍のものだ。
とっても気前がいい。
まあ、これは何ら根拠はないが、皇帝としての見栄かプライドかな。
だから一説には、倭があちらによく行っていたのは、うまみのある貿易だという人もいる。
現在の感覚でなら、これは頷ける。が、当時の感覚ではいささか首をひねってしまうが。
さて、まだまだお返し品は続くが、今日はこれまで。