【記憶】恐く優しいばあちゃん | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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そのばあちゃんは、かなり恐かった。
ばあちゃんの屋敷は、戦争が終わる前までよりぐっと狭くなってしまってはいたらしいが、屋敷を一周するだけで2、3キロメートルはあった。だから、当時でも、まだ郷では一番の土地持ちだった。
かなり狭くなったとはいえ、その屋敷は私たちの格好の遊び場ではあった。
表にある長い石垣は、ちょっとしたアスレチックランド。
裏山には板の垣根が数百メートルに渡って張り巡らされていた。が、所々破けた穴から潜っては、ジャングルごっこをしていたのである。
その家は、戦前は郷の3割くらいの土地を持っていたらしい。
いまだに裏山が雲の先にあるようなふたつ隣村の地主さんほどではないが、平地の土地持ちという意味ではずば抜けていただろう。
ばあちゃんの息子は、共産党員だった。
が、そんなことを知ったのはずいぶん後のことであり、たぶん中学生になってからだ。しかし、共産党員という名前を聞いても、田舎中学生の私にはピンとこなかった。

へえ。共産党員て金持ちなんだなあ。
そんなイメージしかなかった気がする。


そのばあちゃんは、裏山で遊ぶ私たちを見つけては、叱りながら追いかけてまでくることがあった。

恐かった。

が、こんなことがあった。

裏山に咲いていた桜の花を、古木に登って採ろうとしていたときのことだ。
ばあちゃんに見つかってしまった。

早く降りてこいと、ばあちゃんが怒鳴っている。
しぶしぶと、私は木を降りた。木から降りる恐怖より、降りてからの恐怖が私を震えさせた。

ばあちゃんは私を家に連れていく。
ああ、ばあちゃんだけでなく、あの変なおじさんにも叱られるんだ。
私はいっそう寒くなった。
ばあちゃんは、私に縁側で待っているよう命じ、奥へと消えた。
私は生まれ初めてその家に行ったのだった。薄暗い長い廊下の中に、ばあちゃんが消えていく。

ああ、ペンチで歯を抜かれるかも知れない。いや、縄で縛られるのだろうか。
私は逃げたしたい気持ちをぐっと抑えた。こんな場面で逃げたのがバレたら、家に帰って青竹の刑が待っている。

しばらくして、ばあちゃんが現れた。
が、手にペンチを持ってはいなかった。

その代わり、見たことのないような笑顔の右手に、半咲きの桜の枝が握られていたのである。



ばあちゃんの息子の変なおじさんは共産党員だが、世間では恐いじいさんと言われている人にもつながっていたようだ。

その世間では恐いとされるじいさんの作った建物の幕開けには、やんごとなき方の係累もいらっしゃり、地元では盆と正月とクリスマスが一緒になったような騒ぎになった。

しかし、その恐いとされるじいさんの建物の土地は、変なおじさんが貸しているものであることは、あまり知られていないようだ。


その幕開けの儀式の少し前に、桜のばあちゃんはあちらに旅立っていたらしい。

盆が近づき、ふと、恐くて優しいばあちゃんのことが思い出された。





これは、小説です。