倭の風俗・習慣が儋耳や朱涯に似ているといったが、実際に述べてみようか。
倭は温暖で、冬の夏も生野菜を食べる。
しかも、皆はだしだ。
岩穴や粘土つくりではない雨をしのぐ部屋があって、父母兄弟は休んだり寝たりするところは別にする。
朱を体に塗っているが、これは中国で粉を塗るのに似ているだろうな。
食事には高坏を用いるが、手づかみだ。
人が死んだ時には、棺桶に入れて土葬する。でも、棺桶を飾る外箱は無いがな。
葬儀に際には、十日余りは葬儀に集中して、ほかの仕事は休みとなる。
喪に服するというやつだ。
この間、喪主は泣き叫び、肉類は口にしない。
ただ、家族以外の他人は、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎとなる。
埋葬が終わると、喪に服した一家は水に入って潔斎し、体を清める。
この風習は、長らく日本に続いていたのだろうな。
古事記などにも、葬儀に関して似た記述が見られるし。
さて、この前みたいに11字に1記事使っていては、100回シリーズになってしまう。
これからは端折って説明不足になるかもしれんが、先を急ごう。
が、今回はこの辺で。