いわゆる【魏志倭人伝】その13 女王国までの総合距離 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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さて、前回は女王国に属する幾多の国々と、南、おそらく熊本の南あたりにいた敵国・狗奴国まで話したんだっな。


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さて、遣倭使の話には、問題になる次の1行がある。


自郡至女王國萬二千余里

(郡より女王国に至、万二千余里)


上の画像の真ん中下から次の行の上までだ。

この11文字が邪馬台国・北九州説の根拠であり、また儂も納得するところだ。

ここで郡とは、朝鮮半島の北の方にあった漢時代から設置された帯方郡だ。 

(注;漢とは韓ではない。ひらたく言えば中国の郡の一部)

今でいうなら、黄海道からソウルあたりだろう。


で、郡から倭へ来た道のりを、ちょっと思い出してみよう。




帯方郡(ソウル付近)から狗邪韓国(プサン中心の慶尚南道)対馬まで・・・7000余里

狗邪韓国(日本の飛び地)から対馬まで)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1000余里

対馬から壱岐まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1000余里

壱岐から末蘆(松浦・呼子付近~唐津)まで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1000余里


ここまでの距離を合計すると、帯方郡から北九州の呼子あたりまでちょうど1万里だ。

ということはだな。帯方郡から女王国までの1万2千里と合わせて考えると、女王国は北九州の呼子付近からわずか2000里しかないことになる。

いたって簡単な計算だ。

とういことは、邪馬台国は北九州の港からせいぜい150kmしかないということがわかる。しかも南か南東だ。

そう読んでくれば、邪馬台国は筑紫平野か菊池平野、あるいは宇佐あたりとなる。


とにかく、九州、それもあまり南ではない。

どう考えても、畿内や北関東はありえないだろう。


そう考えるのが自然だべな。