主な邪馬台国説最終回は、沖縄など南西諸島および海外説です。
次回から、また本文に戻る予定です。
南西諸島ならびに海外説は、本文をそのまま読み下していくことから導かれます。
復習すると、
①北九州から南へ船で20日で、投馬国
②(さらに)南へ船で10日、陸路1ヶ月で女王国
でしたよね。
そこでまず出てくるのが沖縄説ですが、一気に簡単に記載します。
①沖縄説
北九州から船で20で行けるのは、奄美大島あたりとします。さらに10日の航行で沖縄北部に着きます。ここからジャンルを通り那覇あたりに着きます。
確かに、沖縄には王さえ従わねばならぬ聞得大君(きこえおおきみ)というノロ(巫女)がいる。
ノロには、太陽神的霊格をも兼ね備えていると考えられるから、邪馬台国の卑弥呼のイメージにダブル。 問題は、仮に那覇あたりなら、なぜ最初から船で近くまで行かないのかという点だ。
毒蛇のたくさんいるジャンルを、わざわざ歩く必要はないだろう。
②台湾説
航行20日で、沖縄。さらに航行10日で、台湾北部。そこから台中など内陸部へ徒歩1ヶ月。
いささか徒歩期間が長いですが、それは無視しますか。
この説の魅力は、魏志にある倭人の外観です。
魏志には、倭人はみな刺青をしているとあります。
台湾高砂族などにとって刺青は、ファッション。
確かに、似ています。
また、魏志に倭は福建省の東あたりになるだろうとありますが、台湾はまさに福建省の東隣です。
この後は、どう見ても遠すぎるきがしますが、記憶に残る候補地さ、らり挙げてみます。
③フィリピン ・ルソン島
④インドネシア・ジャワ島
⑤ニューギニア島
さらに飛躍した説には、エジプトだのがあった気がしますが、このあたりになると問題外でしょうね。
余談ですが、
邪馬台がなまってヤマト(大和)となったという説があります。
また、邪馬台とは山門(ヤマト)の意味だろうという説もあります。
さて、脇道話は一旦これでおしまい。
また、面倒な本文だじい。