この脇道シリーズ①②で述べたように、邪馬台国は北九州または畿内にあったとするものがよく知られています。
とにかく、位置の記述が曖昧なために、細かく分類すれば、おそらく国内に限っても100くらいの候補地が出てきそうです。
その中でも、多少知られている説を見ていきますか。
①出雲説
出雲は古代から神の集う場所であり、当時は木造建築で高さ世界一と思われる杵築大社(現在の出雲大社)がありました。
伝説に従えば、約96メートルの高さですから、現在でも木造建築では世界一の高さになるのではないでしょうか。96メートルは伝説ですが、48メートルくらいの高さがあった可能性が高いことは『雲太和二京三(一位は出雲大社、二位は東大寺、三位は御所)』という言葉からも推測できます。
また、日本考古学史を大きく変えた、銅鐸、鉾などの大量発掘からも、かつては一大国があったことが分かりますから、北九州や畿内説同等、邪馬台国の可能性があるとも言えるでしょう。
②北関東説
群馬から栃木にかけては、岩宿、磯山に代表される地域のように、石器時代から人間が住んでいました。
また、この両県には河内地方ほどではないにしろ、100メートルクラスの古墳や古い土器、集落遺跡が東日本では最も集中している場所です。
中には、東京国立博物館に展示されているような、芸術性高い埴輪などもあります。
こうしたことから、北関東説を唱える人もいます。 余談ですが、出雲大社の唯一の分社が、北関東・常陸国(茨城県)にあります。
その他として、吉備(岡山)説、古志(北陸)説、アラハバキ(青森)説などが主なところでしょう。
現在の区分でいえば、沖縄説も日本に入りますが、これについては次回の、邪馬台国=海外説の中で述べる予定です。
余談;出雲大社系神社
出雲大社系の社の位置は、邪馬台国説と絡めると、なかなか興味深い場所にあります。
①出雲大社
②諏訪大社
③出雲大社常陸分社
出雲大社弘前分院
出雲大社相模分院
出雲大社松山分院
出雲大社福岡分院
①②③は一直線になる。
さらにこの線上に、日本一の恵比寿でしられる下野・芳賀の
④大前神社がある。
①③は大国主、②と④は大国主の息子を祀る社である。
その他の出雲大社分院は、邪馬台国の候補地にもなっている。