三國志 魏志 巻三十
東夷伝・倭人条
(いわゆる『魏志倭人伝』)
※参考文献
岩波文庫
魏志倭人倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝
石原道博 編訳
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壱岐からまた海を1000里(80km)渡ると、松盧国につく。
そうだ。今の佐賀県東松浦半島あたりだな。もっとも、秀吉の時代あたりには、名護屋と呼んでいたが。
4000戸余りの町並みだ。
草ぼうぼうで、前を歩く人の姿さえ草にすぐ隠れてしまう。
魚やアワビといった魚介類を、海の深浅に限らず潜って採っている。
松盧国から東南に500里(40km)で伊都国だ。
そうそう、福岡の糸島半島付近だな。
えっ?糸島は東松浦半島の東南ではなく東だろうって。
それはな、今の地図帳で考えるからそうした勘違いをする。
当時は海進が進んでいて、陸は今よりも狭かった。地球が温暖化していたから、糸島半島付け根の
前原あたりはまだ海だった。
だからここでいう伊都国は背振山地の麓あたりのことだ。
そうすれば、松盧国の東南に伊都国があるとわかるだろうさ。
ついでに言うとな。当時は相当暖かく海の水が標高数十メートルのところまで上がってきていた。
でもな、これは倭国の連中が二酸化炭素いっぱいの自動車に乗っていたからでも、石炭発電を
していたわけだからでもない。
地球は生きているから、温暖・寒冷は人間に関係なく変化する。
さて、話をもどそう。
松盧国から東南に500里(40km)で伊都国というところまでだったな。
ここのトップは爾支(にき)と言って、副官は泄謨觚(せもこ)・柄枸觚(へここ)という。
これは何だかわからないが、主(ぬし)、妹子(いもこ)、彦子(ひここ)のことかもしれないな。
伊都国には代々の王がいるが、みな女王国に属してきた。
我が国の郡使が往来、常駐する場所がある。言ってみれば、我が国の大使館のある場所だわな。
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はうはう。
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