【嘘の歴史】第二次世界大戦末期は、敵国用語はすべて日本語へ | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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真っ赤な嘘である。
一部スポーツなどにそうした傾向があったようだが、すべてとはずいぶん極端だ。

例えば、終戦直前
昭和20年8月14日の朝日新聞1面と2面だけでも、敵国用語と思われる文字を拾ってみよう。


★1面
・(これは地名などだから、苦しい言い訳はできるが)
コペンハーゲン、デンマーク、チューリッヒ、シカゴ、アテネ、リスボン、スウェーデン、ストックホルム、ギリシャ、ソヴェート、ワシントン、アンダーヒル、ドイツ、スイス、ノースアメリカン、ニコライ
、イギリス、バチカン、ロンドン


以下は日本語にできるはず。いや、しなければならなかったはずではないの?


・五千トン
・マリアナ、沖縄基地
・毒ガス
・エネルギー
・タブー
・エコノミスト
・五百五十メートル
・コールタル
・コンクリート
・六キロ



★2面
・高いビル
・アジア民族
・(新聞広告)スレート、フラツシャー、コムプレサー、タイプ、ヨット
・ アスファルト
・バス
・ローラ
・ラジオ




★敵国言葉が使えなかったか自粛した場所(例えば野球)があるのは、聞いたことがあります。
しかし、こうした例を見るまでもなくすべて制限を受けたというのは嘘です。
まるで、お隣がハングル禁止をされたかのような話をでっち上げる嘘と同じです。
だいたい、ハングルを教えたのは日本人ですがな。全く自国の歴史を知らない。いや、今や自国の歴史書を読める人はほとんどいなくなってしまったのでしょう。

なぜこうした嘘を教育したのか?


推測はできますが、まだ文字にできるほどのところまで学習はしていません。


とにかく、こうした事実はあります。


私も、こうした資料を見るまで、まんまと騙されていました。