おっ!似ている。こやつなら使える。
芭蕉は、とっさにそう思った。
背丈、顔かたち、髪型。
自分そっくりの行き倒れの骸が、そこに横たわっていたのだ。
骸を曾良とあばら家に運んだ後、芭蕉は曾良にこう言った。
「儂はここで死んだことになる」
曾良の眉が一瞬動いた。
が、すぐに師匠の意図を察し、口元を緩めながら頭を下げた。
芭蕉はもう江戸には帰りたくないのだ。あの嫉妬深い女に嫌気がさしていることは、弟子の曾良ならずとも知れるところであった。
さらに、師匠の頭を抜いてしまいそうな弟子が出てきたからだ。生きている内に、あやつにだけは越されたくない。 それが見てとれた。
あやつとは、去来のことである。
その忸怩たる思いは、近くにいた曾良だからこそ分かったのやも知れない。
いや、去来が句集を出すことをずっと許可しなかったから、弟子仲間ならおそらく皆感づいていたろう。
芭蕉は伊賀の者。
不惑を過ぎてまだ、一日に十里を稼げる健脚である。自家製の薬も調合できたから、病などとんとしたことがない。
しかし曾良は、ここで師匠を病に倒れさせなければならなくなったのだった。
一ヶ月の後、那須のが原に手と手を取り合った、親子らしい姿があった。
「さて、そろそろ帰るぞ、かえで」
「はい。あんまり速く歩かないでね……、旦那さま」
浄法寺高勝の作ってくれた杣屋。
夕暮れの中、コオロギが鳴いている。
いや、それはコオロギではなく、かえでの笑い声だったかも知れない。
旅を急いだ奥の細道。
年甲斐もなく、親子以上に年端の離れたかえでに惹かれたことは、曾良の日記を見ても分かる。
しかし、芭蕉が高勝のところに半月も滞在していたことを知っている者は少ないに違いない。
芭蕉は米寿近くまでかえでと寝食を共にし、かえでの腕の中で息を引き取ったという。
参考吻険
元黒羽藩お庭番・島治伊三作務覚書