
昼間に室内の電灯をつけるようなもったいないことはしないから、日中は家の外に出ているのが常識。

公園や道路脇では、こんな風景が見られる。
老人が夜中でも外にいることが多かったが、これには深いわけがある。親子4人家族でも1部屋であることが多かった。老人たちは、若夫婦に遠慮する場合もあったのである。
ただし、同じ休む時は同じベッドに夫婦は寝ない。ジジイと旦那、婆さんと妻らしい。1人子政策の影響だろう。

蓋が空けられたたジュース売りはよく見た。
これを買う勇気はなかった。また、一部食料やタバコは金があっても配給券がなければ手に入らない。私は時々、配給券を外券と国内券との不利な物々交換(現地人は外券を喉から手が出るほど欲しがっていた。外券があれば、一部デパートで買い物や外国タバコを買うことができた。今は外券と国内券の区別はない)で分けてもらい、時々はあげパンを買ったりしていた。

観光地にて。
人民服ではないハイカラな服装だから、現地国の人ではないかもしれない。

路地に店を出した裁縫店。

田鰻専門店。

漬物販売店。

新鮮な魚の量り売り。

裁縫店の類いだろう。

最近はPM2.5とかが騒がれだしたが、当時もすごかった。
足掛け1年いたが、青空を見た記憶がない。だいたいが薄曇りか霧のような天気。 多くの人たちがいつも咳をし、よくペッペッとやっていた。
たんつぼなどなかったから、デパート内でさえペッぺである。
初めて上海に赴任し、3ヶ月後にピザ更新と、心身の洗濯ため香港に帰った。
機内から見る明かりに、自然と目が潤んできたのを覚えている。
キャセイだった気がするが、機内食のパンを噛んで、その油のない食感に嗚咽さえ漏れそうになった。