【昭和の上海シリーズ4・最終回】街角で | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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かなり裕福な家庭の子どもたち。なんとスカートをはいた女の子もいる。現地の大人のスカート姿は皆無と言っても過言ではない。子どもでさえ、たぶん1万人に1人くらいだったろう。

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昼間に室内の電灯をつけるようなもったいないことはしないから、日中は家の外に出ているのが常識。

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公園や道路脇では、こんな風景が見られる。

老人が夜中でも外にいることが多かったが、これには深いわけがある。親子4人家族でも1部屋であることが多かった。老人たちは、若夫婦に遠慮する場合もあったのである。

ただし、同じ休む時は同じベッドに夫婦は寝ない。ジジイと旦那、婆さんと妻らしい。1人子政策の影響だろう。



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蓋が空けられたたジュース売りはよく見た。

これを買う勇気はなかった。また、一部食料やタバコは金があっても配給券がなければ手に入らない。私は時々、配給券を外券と国内券との不利な物々交換(現地人は外券を喉から手が出るほど欲しがっていた。外券があれば、一部デパートで買い物や外国タバコを買うことができた。今は外券と国内券の区別はない)で分けてもらい、時々はあげパンを買ったりしていた。

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観光地にて。

人民服ではないハイカラな服装だから、現地国の人ではないかもしれない。

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路地に店を出した裁縫店。

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田鰻専門店。

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漬物販売店。



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新鮮な魚の量り売り。



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裁縫店の類いだろう。



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最近はPM2.5とかが騒がれだしたが、当時もすごかった。

足掛け1年いたが、青空を見た記憶がない。だいたいが薄曇りか霧のような天気。 多くの人たちがいつも咳をし、よくペッペッとやっていた。

たんつぼなどなかったから、デパート内でさえペッぺである。







初めて上海に赴任し、3ヶ月後にピザ更新と、心身の洗濯ため香港に帰った。

機内から見る明かりに、自然と目が潤んできたのを覚えている。



キャセイだった気がするが、機内食のパンを噛んで、その油のない食感に嗚咽さえ漏れそうになった。