【昭和の上海】第2弾 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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「肉」って言われて思い出すもの ブログネタ:「肉」って言われて思い出すもの 参加中


先日掲載した『昭和50年代の大国』が思わぬ大反響。
なんと、全宇宙で2名もの方から好評をいただきました。
ありがとうございます。
あまりに多数なので、個別に御礼のお手紙などは出せませぬ故、第2弾の掲載をもって感謝の意とさせていただきます。


えーと。その前に、ネタに答えておこう。

肉と言ったらこれを思い出します。

私はほとんど好き嫌いはなく、ダイエットだの菜食主義には全く興味がありませんでした。が、これを見てからしばらくは、私もダイエットも考えました。


衛生的な地面に、自然環境に優しいよう冷蔵庫などを使わずに保管する肉。

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いたみやすいものは、きれいな水樽で水冷保存。

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整然と吊るされた干物。
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衛生的で使い勝手がよい、調理場。

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さて、本題に入ります。
私の定宿だった、南京路・和平飯店本館。
エレベーターは、100年を超える文化財的価値の高いもの。たまに故障はありましたが、市内の店には1ヶ所さえエレベーターがありませんでしたから、これは素晴らしいことです。
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列強の疎開があちこちにあったころにあった、日本人町へ通じる橋。

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明治維新頃にこんな建物があったわけですから、確かに昔は世界一の近代的都市、かつ魔都だったのでしょう。


さて、町の公園では朝から晩までこんな光景も見られました。

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私がよく検査に行っていた工場。
夏は35℃以上、冬は0℃前後と、夏暖房冬冷房を完備した、素晴らしい環境でした。

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町に出ますと、完熟バナナなど、色とりどりの香ばしい果物がたくたん。
目移りしたのと、あまりの香ばしさに、結局なかなか買う勇気がありませんでした。

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野菜はもともと買うつもりはありません。
が、野菜サラダはもったいなくまた畏れ多く、一度も食べた記憶がありません。
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とにかく、素晴らしい時代でした。

ここに実質半年、香港・マカオや日本との行き来を入れると、途切れ途切れですが足掛け1年いました。


帰りには、当時鬼のように恐れられていた香港社長が、よく生きて帰ったと上機嫌。

ご褒美に、社長が10年だか15年だか待ってゲットした、香港競馬場のVIPルームに連れていっていただき、私の知らぬ世界も一瞬だけ味あわさせていただいたのです。

さらに、なぜか日本への帰りの便は

「すみません、島ちゃん様。リザーブの手違いがありまして、ファーストクラス席にお移りいただけませんでしょうか?」
と、夢のような間違い。


いやあ、しかし、ファーストクラスシートってすごいです。

目一杯リクライニングシートを倒し、足は伸ばし放題。ワイン片手に快適な帰国でした。

あんな手違いなら、もう一度やって欲しい。

でも今考えると、鬼社長が気を遣ってくれたのかな?とも考えています。





おまけ。

お友達。
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かつては、東洋のベニスと呼ばれた水の都にて。
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どんなに暑くても、水浴びする人はいないでしょう。


あちらの高級幹部の子女と、レストランの店員&料理長。
料理長が、ひどく緊張していた。

料理長を緊張させた連中は、人民服ではない。
中には日本の報道ステーションだかで、かつてのメインキャスターと共にテレビにも出た人もいるようだ。
天安門以降、もし生き延びていれば、彼らは相当上の方になっているだろう。
とにかく、コック服2人以外は全員、40年近く前に日本への留学を経験している。おそらく、文革以降では、日本留学生の比較的最初の方にあたるはずだ。
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とあるブロガーさんの上海記事に、何世紀かの隔たりを感じる。

昭和50年代以降上海には行っていない。
しかし、数年前に出張したシンセンやトンガンに、私のイメージにあった大国とは全く別の世界を見た。
当時は、今のベトナムの田舎とは比較にならぬほど、電気も水もない世界だった。
標高1500メートルくらいある山頂付近にある旅館に水を運ぶのは、人力しかなかった。
現地人に声をかけようものなら、どこからか公安が現れた。


私の知っている上海やかの大国は、もう地球上には存在しないようだ。