さらに、それより古くから福島吾妻小富士が活発に噴煙を上げていた。
そして、あの2日前に遡る。
私の住む関東でも、かなり長い揺れがあった。
宮城沖である。それはある程度予想されていた場所、規模と違っていたが、石巻あたりには弱い津波があったと記憶している。
幸い、ほとんど被害はなかった。
知り合いのブロガーさんは、驚いたがケガなどはなかったとのことで一安心した矢先。
その2日後。
あれが起こった。
ほぼ瞬時にわかる仮データを見る。
暫定でM8以上だった。
嘘だろうと思った。
その時私は、一般住宅なら10階に相当する建物にいた。
すぐに確認せねばならぬことがあり廊下に走る。
と、また大きな揺れ。
その建物は耐震設備が備えられていたため、急激な振動はないが、揺れが増幅され廊下を歩けないほど左右に大きく揺れた。
先ほどのマグニチュードは間違いではないらしい。
たいへんなことになる。
しばらくして席に戻る。
テレビではまだ様相がよく分かっていないようだった。
まずい。犠牲者が万単位になる。
まだ比較的のんびりしていた報道に私が呟いた。
それを聞いた友人が、オーバーなと笑っていた。
数日後に彼は、あんたが正しかったねと、不思議そうに言われたが。

その日は百人くらいの人たちと会社に泊まった。
が、私は一睡もしていない。
深夜0時過ぎには、福島原発のベント作業について書いている。
ベントをしなければならないほどの危機的状況であることを、原発には全くの素人の私でさえ疑問を呈していた。
さらに翌日、かなり歩いたりしながらなんとか家につき、一睡したのちに水素発生に関して考えている。
そこでジルカロイによる水素発生は考えたが、まだボロンについてはよく理解できていなかった。
ただそれまでに、一部情報で米軍からの支給があったとの話は聞いていた。所々の事情からきじにはしていないが。
また、やはり記事にはしていないが、マスコミの横暴や支援関連で頭から湯気を出したくなる話も耳にはしていた。
対応があまりにひどく、差し障りのない範囲で、クレーム記事を書いている。
以前から日本のテレビ報道は眉唾で見ていたが、この後のテレビ報道はほとんどすべて間違い探しの材料でしかなかった。
1、2度、テレビを本気で蹴飛ばしたくなったこともある。
あの後、火事場泥棒よろしく日本のマスコミは、完全にと言ってよいほど蝕まれた。
公共放送は特に酷かった。
死んだな。
そう感じたのだった。

結局マグニチュードは9という、世界レベルでも屈指の巨大地震であった。
が、その巨大地震でも、揺れ自体で崩壊した建物はわずかだったろう。
建築物強度は、間違いなく世界一だ。
津波の恐ろしさは、日本人とインドネシア人が最もよく知っているはずだ。
今回の津波は、さらに私たちに地震国に住む宿命を教えてくれた。
この記憶は、ずっと語り伝えなければならない。
