大乗仏教に造詣が深く、親鸞を深く敬い、人の欲に関しては僧侶並み、あるいはそれ以上に滅私できたと思われる、東條英機の遺詠を紹介したい。
少し日にちがズレたが、せめてもの感謝、はなむけとしたい。
しかし、アメリカさんもやることが酷い。
なんという日に処刑したのだ。
どれひとつとっても仏教的、あるいは古日本的な趣・あはれのある名詠である。
さらばなり 有為のをくやま けふこへて 弥陀のみもとに ゆくぞうれしき
明日よりは 誰にはばかる ところなく 弥陀のみもとで のびのびとねむ
日も月も ほたるの光 さながらに 行く手に弥陀の 光輝く
東條としては、靖国神社に祀られることが嬉しいことかどうかは分からない。
そんな感情を遥かに超えた思いが伝わってくる。
東條ゆかりの浄土真宗側が参拝に苦言を呈するのは、なんとなく分かる気もする。
が、海外から文句を言われる筋合いはない。
なーんも考えてないような中韓はほっといても、アメリカが文句を言うのはわがままが過ぎる。
しかし、東條の歌や演説内容は素晴らしい。
日本語を理解できる日本人ならば、深く感銘を得るものに溢れている。