【スーダン】どこだ?どんなとこだ? | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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急に話題になってきたスーダン。
さて、どんなところだろうか。
Wikipediaで一発で分かるが、そちらにはあまり載っていないあたりを記事にしてみよう。


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アフリカ大陸の東側に、アフリカの角と呼ばれる三角形の出っ張りがある。
ソマリア半島だ。この半島海岸は、東南アジアのアンダマンあたりと並び、海賊がよく出ることで知られた海域だ。

かつて、へんな関西弁を使う、いまや国会議員の女性が主となった平和船とかが、海賊から船を守るために派遣された自衛隊派遣に反対するために、この海域に出かけたことがある。
が、怖くなって、その反対を叫ぶ海上自衛隊に助けを求めた。

なんか、最近どっかで聞いた話に似ている。

感謝どころか、恥も外聞もなく、助けてもらった自衛隊をいまだに批判しているあたりの精神構造も似ている。


さて、その西、大陸内側にあるのがスーダンだ。

スーダンあたりは、我々人類の生まれた場所でもある。
コーヒーで知られるキリマンジャロ山麓や、ナイル川の地溝帯付近で最初の我々人類の祖先(ミトコンドリア・イヴ)が生まれたとされる説が、我々素人の間では通説だ。
もちろんこれは素人向け番組や雑誌にあるものだから、専門の学界での説はどうなのかはわからない。

ここで生まれた人類の祖先が、エジプトから三日月地帯を経てメソポタミアに住み、人類最初の文明を築いたのだろう。

その一部が来た道を戻り、エジプトにも新たな文明を築く。

メソポタミアで生まれた高度な文明が、インド、黄河、あるいは日本へと移ってきた。

エジプトに渡ったメソポタミアの原シュメール文字は、象形部分が特化して新たなエジプト文字となる。
黄河に渡った原シュメール文字は、線部分が特化して漢字となっていく。

日本に渡ってきたシュメール人たちは、まだメソポタミアで文字が発明される前だったために、言葉にはかなり名残があるが、文字を持つことはしなかった。


スーダンから話が飛んでしまった。
元に戻ろう。

現在話題になっているのは南スーダンだが、スーダンの北は古代エジプトの一部であったり、あるいはエジプト最大の敵であったり、また時には、エジプト王にさえなった人物もいるヌビアと呼ばれる地域だ。

ここは、エジプトにとっては常に欲しい場所だった。
なぜなら、金が豊富にあるからだ。

エジプトとヌビアの戦いは、この金をめぐったものだったに違いない。



ところで、現在の政府軍と反政府軍との戦いも、実はこの古代戦争に似たところがある。

相手が金ではなく、石油だという違いがあるが。


また、そのバックには、どうも米中の影が見え隠れする。


なお、これは推測であり根拠はない皮肉だが、銃弾たっぷりで予備のことまで心配しているあちらさん。
本来守るべき一般人見捨てて、自分だけ逃げてたりしてませんよね。

あちらさんの軍は、かなりの強面ですから。

なーんか、一般人放っといて、真っ先に逃げ出してるどこかの軍の夢を見てしまいました。


しかし、また腹が立ってきた。

これは単なる嘘だけじゃない!

なにか、黒く蠢くものを感じている。