一時休み【原発即廃止論】私の考え | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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だいたいの意見が出たようなので、ここで一旦休み。
20131113


いろんな考えを知りたいために、この記事は常時アップしていきます。

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これは、先月10月31日の記事ですが、原発関連の話が話題になりそうなので、再掲します。
できれば、専門家の方から、誤り等ご指摘をいただければ幸いです。

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先日ある方から、私は原発推進派なのか、即廃止派なのかというお尋ねがあった。
これに関しては、以前から記事にしたいとは思っていたが、私自身まだまだ勉強不足で、なんとも言えないのだ。

もちろん、心情的には原発など全く必要ないし、即廃止だとは思っている。

が、要はそれほど単純ではない。

勘違いしないで欲しいが、即廃止しない方がいいかも知れないとも考えているのは、政治的な理由や経済的理由からでは全くない。

それは、おおげさに言えば、即廃止はかえって人類に負担をかけるおそれもあるからなのだ。

原発停止は、原発問題のスタートでしかない。

どういうことかと言うと、原発が全く無くなったとする。

そうすると、反応途中の燃料や使用済み燃料が大量に残る。
これらには、半減期だけで万年単位、安全となるまでには何十万年とか、何百万年とかいう、高い放射性物質が残る。

つまり、原発というのは、廃炉になってからが、本当の問題スタートだという意味だ。

どうもマスコミや、インターネットなどを見ていると、原発廃止論ばかり打ち上げて、その後のことは無視しているやに思える。

極端な話をすれば、原発を止めれば、それで一件落着に近い流れを感じる。

これは、あまりに原発を知らずに、雰囲気だけで動き、将来を考えていない見方に見えてしまうのだ。


即廃止。
しかし、何十万年かわからぬ将来までの、厄介なゴミの管理が待っている。
安全になるまで、現在の人類がいるかどうかさえ分からない。

基本的には、このゴミは自然に放射性物質が崩壊するのを待つしかない。


が、我々人類にでも、ひとつだけ、この気の遠くなるような年月を短縮できる方法がある。
残念ながらすべては無理だが、数十万年を数百年単位で、なんとか安全に近いところまで落とせる方法がある。


その方法とは!

非常に残念なことに、これには特殊な原発、またはそれに近いものの力が必要になってくるのだ。

卵と鶏のような話だが、現在の人類の科学力では、おそらくこの方法しかないように思える(将来は分からないが)。

ただ、現在日本にあるものは、身の毛がよだつほど恐ろしい感じはしている。

だから、心情的にはもちろん私は、原発不要即廃止だ。

が、将来を考えると、すべてを一気に廃止してしまうのは、あまりにも未来への負担が大きい。

ましてや、日本にはまだ、長期保管施設ひとつない。
北海道には、地下380メートルほどのところに実験保管設備はあるが、これはあくまで実験用であり、実用ではない。

北欧などでは、氷河などを利用し保管をしているようだ。
長期保管設備もなく、一気に出る廃炉からの大量の危険なゴミをどうすべきかも考えず、ただただ原発即廃止というのは、私には無責任に思えてしまう。

発電のためではない、核変換炉は必須だと思える。そうしないと、中には半減期だけで億年単位の核物質も残っている状態となる(安全になる頃は、地球があるかどうか分からないだろう)。

以上のようなことで、心情的には即廃止だが、できる限り未来への負担を減らすために、一部は特殊な原子炉も必要ではあるだろうと考えている。

もし、何らの方法で危険なゴミの安全な処理ができるようなら、当然即廃止だ。

マスコミなどは、後工程を考えずに、単に廃止、廃止と言っているように感じてしまう。
原発廃止の後を、将来を考えていない。
もちろん、口では未来のためにとは言っているが、このあたりにはさっぱり触れていない。

以上、かなりおおまかで、細かいところは違っているでしょうが、私の原発に対する考えです。