【朝鮮半島の歴史】4 高句麗 ②外からみた高句麗と文化 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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北朝鮮と中国国境には、社会主義革命の聖地とされる、白頭山があります。
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この白頭山からウースリー川のある満州には、夫余という国があり、紀元前4世紀頃から名前が現れます。
主に牧畜をする民族らしく、部族長として、馬加、牛加、猪加、狗加、犬使などが記されています。

これらの村落には豪族と下戸があり、下戸は奴婢です。
この満州にいた豪族が、やがて高句麗を築いたとなっており、高句麗自身が夫余(満州族)の別種と称していたようです。

高句麗の勢力が最大だったのが、日本でもよく知られている広開土王の時代。
この時代の古墳の壁画と、高松塚やキトラ古墳などの壁画の類似は、【偶然か?シリーズ】で比較した通りです。

高句麗は後に、中国に生まれた隋や唐の侵略に打ち勝ちますが、半島内で新たに力を増して来た新羅と唐合同軍により、西暦668年に滅ぼされます。

なお、聖徳太子の仏教の師彗慈など、高句麗からは著名な僧も渡来しています。
水車なども高句麗から伝わったようですが、日韓併合時にはそうした技術や文化は全くと言ってよいほど消えており、下戸などは原始時代に近い生活だったことが、多くの史料、西洋人旅行記、写真などから分かっています。

これは、長い間の属国、差別社会が生んだものと思われます。



ただし、ファンタジー時代劇では、どうも朱豪は夫余(満州族)に育てられたが古朝鮮族であり、満州族とは別のような展開と思われます。
まあ、朱豪自体の存在が伝説・神話なのですがね。




つづく