【目で見る歴史】文革 その4 紅衛兵 | しま爺の平成夜話+野草生活日記

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文革という名の裏舞台には、毛沢東がいたのは明白だ。
が、しばらくするとこれが前面に出てきた。

紅衞兵と呼ばれる、毛沢東親衛隊の登場である。
銀行、百貨店、遊技場、個人店主、教会、寺、口紅をつけた女子……。

とにかく過去の文化や派手なものは資本主義であり、それに関わる者は自己批判せよとばかりに、破壊と強盗を繰り返す。

ついに、紅衛兵の前に人民警察も機能不全に陥る。
とにかく、紅衛兵に逆らったら、家族ともども命が危うい。

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こうした紅衞兵により、いったい何人の庶民が殺されたかは分からない。

ただし、長らく続いた賄賂文化だけは残した。
いや、一層ひどくなり、後に政府高官をして、世界一収賄の凄まじい国と言わしめるようになる。
他人が金を持つのは悪だが、自分が持つのは問題がない。

こんな報道が目につくようになってくる。

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さらに、少し経つと毛沢東をバックに、4番目の夫人 江青の名前が出てくるようになる。

江青は後に、中華人民共和国最大の悪女と呼ばれるようになる。


が、やはり朝日新聞さんは暖かく見守ってらっしゃいますなあ。

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この方の指示か本人かは分からないが、美人で人当たりのよいと人気の周恩来の養女は、額に釘を打ち付けられ殺されています。
(一部に、江青の嫉妬説あり。嫉妬理由は多説あり)
党No.2の周でさえ、紅衞兵には勝てませんでした。
こんな状況のため、共産主義仲間のソ連からさえ非難され、子分の日本共産党からもサヨナラを言われ、中共はますます孤立し、粛清という名の反対派抹殺と、個人宅などの襲撃・強奪を繰り返し、阿鼻叫喚の世界に突入していきます。
少しでも紅衞兵に批判的なことをいうと、首相クラスさえ命の保証はない時代。

民衆側をかばった周恩来も、自己反省をさせられます。

後に文化大革命を止めさせたトウ小平など、党の役をすべて剥奪されたあげく、追放された農場では木で打たれ、半死半生の目にもあっているようです。

国のトップにいた人が、年が明けたら馬糞のなかで鞭打たれるというのは、日本ではあり得ないでしょう。
でも、こうした恐怖感を考えると、どんなに国民や他の議員から“すぐに止めろ!”と言われても、必死でその地位にしがみついていた、とある政治家のことがふと頭をよぎるのでした。
しかし、いくら嫉妬でも、額に釘を打ちますかねえ。
いや、ありまする。

あちらには人豚とか言って、死なない程度に右手、左手、右足、左足、鼻と順に切っていき、目を潰し、耳を蝋で塞ぎ、最後は糞尿まみれる豚小屋に入れて見世物にするという、とんでもなくおぞましい刑など、読んでいて目を疑るようなものがありますから。

そうそう、最初の3ヶ月程のペースではありませんが、時々トップの粛清はありました。
今話題の、薄氏の父親の名前も見えます。


紅衛兵のやり放題と国の孤立。

このあたりが、文革の前半でしょう。

文革半ばからは、あまりの紅衛兵の残虐さ、デタラメさに毛沢東は、より民衆に近く軍にも顔がきくトウ小平を使って融和を図ります。
が、江青など四人組には、トウは邪魔な存在。
トウは何度か整風(風をひとつの方向にすること→反対者は、追放か抹殺か自殺させる)の対象になり、周恩来の力でまた引き上げられたりします。

文革大革命の裏には、周やトウなどインテリに対する、毛沢東の劣等感があったのではないか。
また、大躍進政策の失敗理由を知るインテリは生かしておけない。

そう、私は考えています。


後世の人に笑われ、批判されるのが見えていますから。


もっとも、最近でもこうした中国共産党に近いあたりの国のトップ付近では、


汚染水漏れを新聞紙で止めようとしたり、

洪水を船のスクリューで押し戻そうとしたり

幻兵器を恐れて風水に頼ったり

ノーベル賞受賞祈願をしたり



いろいろ?マークたっぷりのことをしてますがね。




この政党に近いところで成功した国は、シンガポールだけだと思っています。
ただし、最初の理念とは異なり、“帝国”になっていますが。

でも、ああした優秀な指導者のいる帝国なら、非常に素晴らしいと思います。
私個人は、日本の次にシンガポールが好きです。

ただ、ああした体制の国ですから、当然厳しい区別はあります。

これは差別ではなく、外国人ならどこでもあるものでしょう。


その面を見ると、区別を差別とし、逆差別を差別と呼ぶ人や議員、あるいはマスコミもあることは、日本は大変奇妙な国だとも言えます。