それは1966年から10年の間に渡って行われた、文化大革命と言われるものだ。
某A新聞などはひどく持ち上げる記事を書いたりしていたが、この10年間の間に、いったい何万人の犠牲者が出ているのかさえ、いまだに不明なものだ。
一説によればそれは、数百万人とも数千万人とも、あるいは億単位だとも言われている。
とにかく、恐怖政治が横行し、粛清と名付けられた殺人が、外部に漏れた党の人物だけでも、毎日のようにあった日々である。
中には、副首相クラスやその家族も含まれ、頭に釘を打ち付けられたような悲惨なものさえあった。
が、それはあくまでも外部に伝わってきたものだけであり、その詳細、総数は把握できていない。
また、外部に出た情報でも、漢人党員以外は数に入れたかどうかさえ怪しいものがあり、実際の犠牲者は不明なのだ(数千人規模の暴動があったらしいが、即日鎮圧で死者0人との幹部発表。当時は庶民は電話さえないし、発表は壁新聞だけだから、詳細は闇の中)。
このあたりは、現在のようにインターネット社会になってさえ、うやむやにし情報規制をしている、チベットやウイグルをみれば、実際はどうだったか予想がつくだろう。
さて今回は、その文化大革命(一般に文革と呼ばれる)で登場する、著名な人物のみ紹介して終わりとする。

若かりし頃の、毛沢東と周恩来。
毛は中共党員の中では神様、周は二番手。
ただし、毛はのちに悪名高い四人組と合わせ、片手(五本指)で揶揄されるほど人民には嫌悪対象となる。
周は後半は常に毛たちに狙われる存在となるが、都度切り抜けている。
党員ではない人民の中では、周が神様に近い。

晩年の周恩来。
日本を理解していたと思われる、当時希少な存在。
文革がなければ、あと10年は生きられたと言われている。
しかし、毛沢東の古くからの友で、なんとか逃げ切り自然死できたのは周ぐらいだろう。

毛沢東と4人目の妻、江青。
江青は、元女優だが、四人組の筆頭となり、毛をバックに嗜虐をつくした、おそらく短い歴史の中華人民共和国の中では、一番の悪女。
50代以上の方なら、この写真とは似ても似つかぬ、鬼の顔で叫ぶ姿を知っている人もいるだろう。

トウ小平。
最終的に文革を止めさせ、現在の中華人民共和国を築いた、奇跡的人生を歩んだ人物。
その道のりは、生きられたのが不思議なくらいの、エスカレーター人生。
毛や江らからは利用されて幹部になったり、疎んじられ副主席や党、軍その他の一切を一夜にして抹消され、庶民として左遷させられるようなことが、何度もあった。
中国庶民は、七転び八起きのダルマにたとえたりする。
晩年、まさに中華人民共和国の帝王的存在で、毛のように党員だけではなく、庶民からの人望も厚かった。
その年を代表する世界の顔として、英国雑誌タイムの表紙を飾ったこともあるように記憶している。