経緯はほぼ前回の古事記と同じだ。
ただし、日本書紀には「一書に曰く」のような、異説も紹介している。
では、やはり天照大御神が岩屋にこもり、暗闇が地上を覆うあたりからだ。
参考文献は、
講談社学術文庫;日本書紀・上;宇治谷孟訳
それで国中常闇となって、夜昼の区別も分からなくなった。その時八十万(やそよろず)の神たちは、天の安河のほとりに集まって、どんなお祈りをすべきか相談した。 思兼神(おもいかねのかみ)が深謀遠慮をめぐらして、常世の長鳴鳥を集めて、互いに長鳴きをさせた。
また、手力雄神(たちからおのかみ)を岩戸のわきに立たせ、中臣連の遠い祖先の天児屋命(あまのこやねのみこと)、忌部の遠い祖先の太玉命(ふとだまのみこと)は、天香山の沢山の榊を掘り、上の枝には八坂瓊(やさかに)の五百箇(いおつ)の御統(みすまる→首飾りのように勾玉などを紐に通して輪にしたもの)をかけ、中の枝には八尺鏡(→写本のタは只に尺)をかけ、下の枝には青や白のぬさをかけて、皆でご祈祷した。
★以下は、日本書紀にある異説である。
鏡部分で異なる部分中心に掲載する。
一書(第一)に曰く
「大神のかたちを映すものを造って、招き出しましょう」と。
一書(第二)に曰く
鏡作部の遠い祖先の、天糖戸神(あまのあらとのかみ)に鏡を作らせた。
(中略)
そこで日神が岩戸をあけられた。このとき鏡をその岩屋にさし入れたので、戸にふれて小さな傷がついた。この傷は今も残っている。
これが伊勢にお祀りしてある大神である。
一書(第三)に曰く
そこで天児屋命は、天香山の榊を堀って、上の枝には鏡作りの遠い祖先の、天抜戸(あまのぬかと)の子、石凝戸辺命(いしこりとべのみこと)の作った、八尺鏡をかけ、中の枝には玉作りの遠い祖先……。


★写真は本文と関係がありません。
八尺鏡 おわり
次回は草薙剣でもやりたいが、これは記紀の中だけでもあちこちに記述があり、時間がかかりそう。
とりあえず、このシリーズは一旦終了。
時間と気力があったら続けます。
では。